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遊牧民の生活痕跡

2023年4月

 遊牧民というと、皆さんどのようなイメージをお持ちでしょうか。家畜とともに遊動する自律的な生活をおこなう、固定した居所をもたない民、といったところでしょうか。また最近では、一定の場所で物事を行わない人を「ノマド」などと言ったりします。このように、自由度が高いライフスタイルで痕跡をあまり残しそうもない遊牧民ですが、実のところ多くの痕跡を残すことがわかってきました。今回は、ヨルダンとキルギスでの自身の経験から、古代遊牧民の生活について紐解いていきます。

 そもそも遊牧民とは何か。端的に言えば、「生業の大半を牧畜に依存し、沙漠や草原の放牧地を季節的に遊動する集団」、つまり、ヒツジ・ヤギやウシなどを広い範囲で放牧・飼養することで生計を立てている食料生産者です。その起源は西アジアの沙漠地帯にあり、遅くとも前4千年紀までには完全なかたちで成立したようです。広範囲で放牧するといっても、遊牧民はただやみくもに遊動しているわけではありません。季節毎(夏・冬)に決まった場所(キャンプ)に移動して、放牧地を変えるのが通例です【写真1】。こうすることで、十分な牧草を確保すると同時に、暑さや寒さから身を守っています。

 古代遊牧民の生活は、その捉えづらい性質ゆえに考古学が苦手とする研究対象です。このため長らく、痕跡を見つけやすい墳墓に研究対象が偏ってきました。結果として、古代遊牧民はもっぱらその葬制を通じて理解されてきたといえます。しかし近年では、乾燥域における綿密な調査によりその生活痕跡が数々記録されています。家畜を夜間収納する囲い【写真2】や、テントを固定する石の列、調理用の屋外炉、また時に石壁をもともなうキャンプ址などを確認できます。このような痕跡からわかるのは、古代の遊牧民の季節移動圏や生活様式です。いつの時代に、どの程度の集団がどの範囲をどの方向(東西あるいは南北)に移動して放牧を行っていたのか、さらには、どれくらいの家畜を保有していたのか、ということです。また、古代遊牧民の生活実態がはっきりすることで、定住民との関係も明らかになります。キルギスでは、古代のシルクロード沿いの植民都市と在地の遊牧民が共存していたことが知られており、今後の調査により両者の関係が具体的に示されることになるでしょう。

 古来ユーラシア大陸では様々な遊牧民が日々生活をおくり、地域社会の形成に重要な役割を果たしてきました。今後は、遊牧民の葬制のみならず生活様式に関する考古学研究も同時に進むことで、よりバランスのとれた歴史観が醸成されることを期待しています。

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写真1 ベドウィンのテント(ヨルダン)
ヨルダンの遊牧民ベドウィンは横長長方形のテントに居住してきた。現在では定住化政策により村落に住まうが、庭先にテントを立てている様子をしばしば目にした。

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写真2 古代の家畜囲い(ヨルダン)
直径10m程度の石造りの円形遺構であり、おそらくは家畜囲いと考えられる。考古学踏査において同様の遺構が数多く認められた。

(都城発掘調査部主任研究員 山藤 正敏)

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