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「産廃」の考古学-いにしえのものづくりを探求する-

2021年4月

 「産廃」、すなわち「産業廃棄物」とは、『広辞苑』(第六版)では「事業活動によって生ずる廃棄物」とあります。私たちが発掘調査をすると、このような過去の時代の「産廃」ともいえる考古遺物に出会うことがあります。たとえば、鉄鍛冶がおこなわれた鍛冶遺跡を発掘すれば、鉄器の鍛冶の工程で排出された鉄滓(スラグ)、炉に送風をおこなうための羽口(送風管)などがしばしば出土し(図1)、鋳造遺跡からは羽口のほか、金属素材を溶かすための溶解炉や坩堝、溶けた金属を流し込んで成形するための鋳型などが出土します(図2)。また、土器や陶磁器を焼いた窯跡を発掘すれば、出荷されずに捨てられた失敗品、焼き物の重ね焼きや窯詰めに用いるための窯道具などが出土します。これらはまさに、ものづくりの活動を終えて廃棄された「産廃」に該当するものと言えるでしょう。

 このような過去の時代の「産廃」はただの廃棄物ではなく、当時のものづくりの技術や作り手同士の交流の実態を考えるうえで、しばしば重要な資料となります。たとえば羽口は、鍛冶・鋳造をはじめ、金属の加工・溶解で送風が必要なさまざまな工程において用いられますが、地域や時代、用いられる作業工程によって、形や大きさが異なることが知られています。また、窯道具のうち、三叉トチンと呼ばれるものは、奈良三彩を焼く際に用いられた道具として知られていますが、中国の唐三彩や日本の平安時代の鉛釉陶器や灰釉陶器の窯跡でも発見され(図3・4)、焼き物の種類を越え、広い地域で用いられます。こうしたあり方を把握することによって、過去の時代における作り手同士の交流や生産体制の一端を描くことが可能となります。

 ここで過去の時代の「産廃」から、遠く離れた地域同士の関係が垣間見ることができた実例を紹介します。先に述べたように、窯道具のうち、三叉トチンは中国と日本の窯跡で出土することが知られていましたが(熊1995、巽2006)、このほかにも同じような窯道具が存在します。以前、東海地方の平安時代の灰釉陶器の窯跡から出土した王冠状トチンと呼ばれる窯道具を観察したとき、私は驚きを覚えました。それは中国の博物館で見たことがある長江流域の窯跡から出土した窯道具に形がそっくりだったからです(図5)。よくよく観察をすると、両者には細かい形状や大きさなどに違いがありますが、遠く離れた両地域でなぜ同じような形をした窯道具が出土するのでしょうか?どのような経路で日本にもたらされたのでしょうか?あるいはただの「他人の空似」なのでしょうか?疑問は尽きませんが、今後さらに多くの遺物に目を向け、この謎に挑みたいと思います。

 現代の私たちにとって、「産廃」はただのゴミかと思われます。しかしながら、過去の時代の「産廃」はいにしえの作り手たちの残した貴重な文化財です。いまから1000年後の考古学者は、私たちの「産廃」を発掘して、現在の私と同じような研究をしているかもしれません。

引用文献
熊海堂1995『東亜窯業技術発展与交流史研究』南京大学出版社。
巽淳一郎2006「窯道具から見た我国の施釉陶器の起源」『奈文研紀要2006』。

 

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図1 鍛冶関連遺物(飛鳥池遺跡)

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図2 鋳造関連遺物(飛鳥池遺跡)

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図3 河南省鞏義市黄冶窯の三叉トチン(河南省文物考古研究院所蔵)
出典:奈良文化財研究所『黄冶唐三彩窯の考古新発見』図版161

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図4 京都府京都市栗栖野窯の三叉トチン(京都市考古資料館所蔵)
 出典:愛知県陶磁資料館・五島美術館編『天平に咲いた華 日本の三彩と緑釉』五島美術館、1998年、147頁。

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図5 中国と日本の王冠状トチン

出典:鄭嘉励・張盈「三国西晋時期越窯青瓷的生産工芸及相関問題-以上虞尼姑婆山窯跡為例」
  『東方博物』35、2010年。
  :野澤則幸・浅田博造「愛知県春日井市桃山第4号窯出土「三家人狄雄」刻書の灰釉陶器」
  『考古学雑誌』99-1、2017年。

(都城発掘調査部主任研究員 丹羽 崇史)

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