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ヤリガンナ木屑の行方

2020年6月

 みなさんは、昨年10月におこなわれた第一次大極殿院南門復原整備工事の特別公開には足を運ばれましたか。私も足を運び、職人さんが木材を削るところを見学し、またVRシアターでは完成した南門の姿を空中から楽しみました。

 中でも、宮大工実演のコーナーでは、ヤリガンナという大工道具で木材を削った時に出るくるくるとした細長い木屑(図1)を配っており、多くの人で賑わっていました。もちろん、私もヤリガンナの木屑をいただき、ヒノキのいい香りを堪能しました。

 さて、平城宮跡や平城京跡からは、溝や土坑などからたくさんの木屑が出土しています。これらの木屑の多くは、現在の南門の復原整備の工事現場で見られるように、当時も何らかの大工仕事にかかわって排出されるものと考えられます。平城宮から出土した木屑を形で分類すると、ヤリガンナで削ったような、くるくるとした細長い木屑が見られないことに気が付きます。

 このことには、いくつかの理由があると思われます。くるくると丸まった細長い木屑は、1300年の間、土中で埋もれていたため、短く分断されてしまったのかもしれません。もしくは、薄いヤリガンナの木屑は土の中で腐りやすいのでしょうか。

 ここで、さらに一つの可能性を考えてみたいと思います。ヤリガンナ木屑の再利用です。建築現場が描かれている古い絵図を見ますと、板材をヤリガンナで削っている人物の隣で木屑を集めている子どもたちがいることに気が付きます(図2)。14世紀に成立した『石山寺縁起絵巻』では子どもが木屑を集めています。また、『春日権現縁起絵』でも子供たちが長い木屑や、筏孔のあいた木材の端の部分を持って帰っています。『新版 絵巻物による日本常民生活絵引』(澁澤敬三ほか編1984平凡社)によると、これらは燃料として用いられたと想定されています。平城宮の建築現場に子どもがいたかはわかりませんが、十分に長さのある木屑は何らかの用途で集められ、再利用された可能性もあるのではないでしょうか。例えば、現在でもキャンプなどで木材に火をつけるときに、木材をナイフで薄く削って毛羽立たせ、ウッドフェザーを作って着火させるようです。十分に乾燥した、薄い木屑は火をつけるのにちょうどよい素材だったのかもしれません。

 第一次大極殿院南門の復原工事の公開からの帰り道、ビニール袋いっぱいに木屑を詰め込んで嬉しそうな子どもたちの姿が、絵図の中の子どもたちの姿と重なって、なんとも微笑ましく思いました。

 

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図1 南門復原工事の特別公開でのヤリガンナ実演とその木屑

 

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図2 絵図にみられる木屑 (それぞれ澁澤ほか編(1984)より改変してトレース)

(都城発掘調査部研究員 浦 蓉子)

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