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櫛の話

2023年6月

 櫛(くし)の歯って何本やと思う?

 先日、無邪気に問われました。実は謎かけ。なかなか面白いのですが、ここは奈良文化財研究所。まずは、櫛の歴史をお話しましょう。

 櫛は化粧道具で、頭髪を手入れする梳櫛(すきぐし)や解櫛(ときぐし)、飾りとしての挿櫛(さしぐし)などいくつかの用途があります。日本では古く縄文時代以来、骨角製や竹製の竪櫛(たてぐし)がみられ、古墳時代になると、新たな形態の櫛が朝鮮半島から伝来しました。爪形や長方形をした素木の挽歯横櫛(ひきばよこぐし)(写真参照)で、7世紀後半藤原宮の時代ないし8世紀平城宮の時代に定着しました。そして、横櫛の普及は竪櫛をまたたく間に衰退させ、以後の櫛の起源となったのです。

 正倉院宝物(しょうそういんほうもつ)には象牙(ぞうげ)製の横櫛がみられますが、平安時代に編纂された『延喜式(えんぎしき)』によれば、櫛職人2名が年間366枚の櫛を内蔵寮(くらりょう)に納めたようです。おもな内訳は天皇に200枚、皇后に100枚、皇太子に60枚とあり、そのすべてが「由志木(ゆすのき)」つまりイスノキという樹木を素材とすることが定められています。

 平城宮跡からは250枚余りの横櫛が出土しており、実にその9割がイスノキ製です。文献資料と出土資料の実態とが見事に合致します。もうひとつ面白いのはツゲ属の横櫛が20点ほどあることです。黄楊櫛(つげぐし)といえば、現在では高級な伝統工芸品として有名でしょう。ただし、黄楊櫛を詠んだ歌が『万葉集(まんようしゅう)』にあり、斎王の「別れの小櫛」が黄楊製であるように、黄楊櫛は古くから知られていました。

 素直に理解すれば、奈良時代にはイスノキ製の横櫛が最高級の実用品であり、ツゲ製の横櫛はやや特殊であまり一般的ではなかったのかもしれません。とはいえ、イスノキ製の横櫛は平城宮跡だけではなく平城京跡や各地の遺跡でも出土しているので、一般的な横櫛でもあったようです。それがいつの間にかイスノキとツゲの立場が逆転し、現在では黄楊櫛のほうが有名です。この間の経緯はよくわかっていませんが、江戸時代には薩摩黄楊櫛が全国的に名を馳せたことも興味深いところです。いずれにせよ、イスノキもツゲも南九州でよく生育する樹木で、緻密で堅く適度な弾力性もあるので、櫛の製作に適しているのです。樹木への造詣の深さが伝わってきます。

 さて、冒頭の答えですが、「9×4」で36本が模範解答のようです。ただ、「9+4」で13本、あるいは櫛は挽くので「9-4」で5本、といった答えも正解かもしれません。本当は何本なのか、写真で数えられるでしょうか。櫛の世界は奥深く、櫛には呪(まじな)いの道具としての顔もあります。機会があれば、また紹介したいと思います。

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【写真】平城宮跡から出土した古代の横櫛

(都城発掘調査部平城地区考古第一研究室長 和田 一之輔)

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