奈良文化財研究所に関するさまざまな情報を発信します。

旧石器人は"粉もん"を食べたか?

2017年5月 

 大学院在学中から、ずっと山東、山西、河北、河南といった中国華北地域で調査をしています。この地域の主食は、伝統的に小麦粉やアワなどの雑穀の粉から作った食品(粉食)です。2週間にわたって華北各地を回って調査をした際に、最後に北京に戻ってくるまで、とうとう一粒の米も食べなかったこともあったほどです。

 粉食の例としては、麺類(面条 miantiao)、ギョーザ(餃子 jiaozi)、肉まんの類(包子baozi)、中国蒸しパン(饅頭mantou)、ねじり揚げパン(油条 youtiao)などが挙げられます。地域色もあり、山東ではクレープのような餅(bing)、山西、河南では面条がよく食べられます。河北の奥地に行ったときは、燕麦の粉で作った皮を蜂の巣のように並べセイロ蒸ししたもの(莜麦窩窩 youmai wowo)が出てきました。

 さて、華北の新石器文化である磁山・裴李崗文化(約8000年前)などで、磨盤・磨棒とよばれる製粉具のすりうす(サドルカーン)とその上石がみられることから、華北の粉食伝統もそこを起源とするとされてきました。しかし、調査研究が進むと、磨盤・磨棒は、3万6000年前ごろの後期旧石器時代初頭にはすでに存在し、その後も断続的にみられ、後期旧石器時代から新石器時代への過渡期に当たる1万2000年前~1万年前に定着することが分かってきました。ただし、3万6000年前の最古の磨盤は赤鉄鉱片と一緒に出土し、表面も赤く染まっているので、粉食とは関係なく、赤鉄鉱から赤色顔料の粉を作るためのものとする考えも有力です。

 私たちが河南省文物考古研究院と共同研究している河南省許昌市霊井遺跡でも華北最古級の土器片(約1万年前)とともに磨盤・磨棒が存在します。ここでも赤鉄鉱は出土していますが、果たして、この磨盤・磨棒は何につかったのでしょうか?また、粉食伝統はこの時期までさかのぼるのでしょうか? 現在、この謎を解明するために、一緒に出土した土器片のフィルムレプリカ分析、付着おこげの安定同位体分析に加えて、磨盤・磨棒自体を対象とした残留澱粉粒分析や使用痕分析などを行い、注目すべき結果が出つつあります。磨盤・磨棒はあまりぱっとする遺物ではありませんが、旧石器時代から新石器時代への移行、植物利用の変遷と農耕の起源など、大変重要な課題と関連しています。研究成果を乞うご期待!

 

左から餅、包子、花巻、饅頭.jpg

河南省鄭州での粉もん朝食(左から餅、包子、花巻、饅頭)

 

霊井のすり臼(左:下石、右:上石).jpg

霊井のすり臼(左:下石、右:上石)

 

(企画調整部企画調整室長 加藤真二)