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むぎまりのはなし

2018年7月 

 平城宮や平城京で出土する土器には、それらがかつて使われていたときについていた名前があったはずです。例えば奈良時代の「正倉院文書」には、水埦(みずまり)、麦埦(むぎまり)、羹坏(あつものつき)・饗坏(あえものつき)・塩坏という器名がたびたび登場します。そうすると平城宮から出土する土器には、古代の水埦や麦埦、それに羹坏が無数に含まれていると考えられます。考古学者は便宜的に、古代の土器を杯A・杯B・杯C・・・などと呼ぶことにしていますが、出土した土器を古代の名前で呼びたいという試みは、重要な研究のひとつになります。ここでは麺類のうつわとみられる「麦埦」の話をしましょう。

 麦埦は東大寺写経所において千巻経写経事業(天平宝字2年6~10月)を開始するにあたり、写経生らが用いることになる食器として、羹坏や饗坏、片盤(かたさら)とともに請求されたことがわかっています。その数は、じつに150口。しかし、このとき麦埦は支給されず、代わりに「水埦」と「埦」が来たようです。麦埦の代わりは、水埦でもよかったことになりますが、麦埦とはいったいどのようなうつわだったのでしょうか。

 おもしろいことに、この麦埦とみられる墨書土器がいくつか出土しています。代表例は平城京左京二条二坊十二坪出土の「麦埦」(三好1989、奈良市教育委員会所蔵)です。底部外面、高台の内側に「麦埦」との墨書があり(図4)、現在の考古学分類にあてはめると、須恵器杯Bにあたります。このほか、単に「麦」・「麦子」とのみ書いた墨書土器も、須恵器杯Bかその蓋とみられるものばかりです。資料がまだ少ないですが、「正倉院文書」の麦埦は、おそらくこのようなうつわだったのでしょう。

 天平宝字2年の千巻経写経事業では、「索餅(さくべい)」という食品を日毎に購入し、消費していたことが「写千巻経所銭并衣紙等下充帳」や「写千巻経所食物用帳」などに見えています。古代の索餅は小麦粉をおもな原材料とする手延べ麺とされ(石毛2006)、ときには原料のみを買い、写経所で打つこともあったようです。つまり麦埦の「麦」とは索餅(別名「干麦」)を指すわけで、麦埦は現代風にいえば須恵器の「うどん鉢」にあたるのです。

 

参考文献

石毛直道2006『麺の文化史』(原著は石毛1995『文化麺類学ことはじめ』 講談社)
三好美穂1989「出土遺物からみた遺跡の性格―平城京左京二条二坊十二坪出土の土器を中心として―」『奈良市埋蔵文化財調査センター紀要1989』

 

須恵器「麦」.jpg

(都城発掘調査部主任研究員 森川 実

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