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平城宮跡史跡指定100周年記念ロゴ制作の裏側

2022年8月

 今年、令和4年(2022)は平城宮跡が大正11年(1922)10月12日に国の史跡に指定されてから、100周年となる節目の年です。昭和27年(1952)3月29日に国の特別史跡となってから70周年でもあります。

 文化財保護法の前身である、史蹟名勝天然紀念物保存法が大正8年(1919)に施行されてから4年めに、我らが平城宮跡は史跡となりました。同じ年月日に史跡となった遺跡には、五稜郭跡(函館市)、多賀城跡(宮城県多賀城市)、松下村塾(萩市)、出島和蘭商館跡(長崎市)のほか、常陸、陸奥、武蔵、甲斐、三河、伊勢、土佐、筑前の数々の国分寺跡があります。このほかにもこれから旧保存法施行直後に指定された全国の史跡が、続々と指定100周年を迎えることになります。

 この平城宮跡にとって記念すべきこの年を盛り上げていくため、奈良文化財研究所では「平城宮跡史跡指定100周年記念ロゴマーク」を制作しました。研究所の中でも、今年が平城宮跡の記念年であるとは知らない職員が多かったこともあって、ロゴの制作にあたっては異なるデザイン3案を用意し、所内投票をおこなって、決定案を選びました。

 第1案は、平城宮跡の最大の特徴、東の張り出し部を有する宮域をかたどり、奈良時代前半・後半の中枢部の変遷を物語る、中央区・東区の2つの朝堂院の区画を100周年の00に重ねて表現したもの(図1)。第2案は、平城宮跡の最初の史跡指定地、東区朝堂院の第二次大極殿所用瓦をモチーフとして、軒瓦が連なる様にこれまで、これからのつながりを表現したもの(図2)。第3案は、100年の00に∞(無限)のイメージを重ね、発掘調査成果をもとに復元整備が進められた平城宮跡の現在、未来に焦点を当てたもの(図3)。

 実は、投票をおこなう前から、ロゴ制作を企画したメンバーには、「推し」がありました。第1案です。私たちにとって、平城宮跡といえばこの形。平城宮跡を説明する際に、何度も示してきた、この東の張り出し部と前期・後期の中枢部を描いたこの形。私たちはこれ以外無い、とある種の確信さえ持っていました。

 ところが投票結果は、第3案が圧勝。次いで第2案...。記名投票としたおかげで面白いことがわかりました。第1案に投票したのは、私たちを含めて年長の研究員ばかり。若手の研究員や、事務職員、アシスタント職員の多くが第3案、第2案に投票していたのです。これを知った展示企画室長は言いました。「投票をしてよかった、世間様とのギャップに気づけた」と。私たちの熱い思いとは裏腹に、一般には、東の張り出し部のある宮域の形状から、これが平城宮跡のことであるとは認識しがたいということなのです。

 昨夏、私は小学生のわが子と一緒に、奈良ユネスコ協会が主催する絵画展「絵で伝えよう!わたしの町のたからもの」を見に行きました。子どもたちが選ぶ奈良のたからものは、定番の奈良の鹿、奈良の大仏。そして、これに追いつくように朱雀門、なかには遣唐使船も。発掘調査によって判明した研究成果を立体的に示した復元建物は、私たちにとってあくまでも現代の、新しい建造物です。しかし、それは確実に奈良の子どもたちの目に故郷の風景として焼き付けられているのだと、実感しました。

 圧勝のロゴ第3案には復元建物を代表して、この春にめでたく竣工した大極門のシルエットが描かれています。復元建物はいまや平城宮跡を象徴する存在であり、私たち奈文研研究員の日々の研究努力を伝える存在でもあります。これらがこどもたちの故郷の風景となるのなら、こんなに誇らしいことはありません。

 奈良時代の貴重な遺構や遺物、これを守ってきた先人たちの努力など、平城宮跡にある様々な過去からの贈り物を、現代の私たちの眼前にかたちにし、未来にまで伝えていきたい。このことを改めて心に刻む年になりそうです。

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図1 ロゴマーク第1案

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図2 ロゴマーク第2案

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図3 ロゴマーク第3案

(文化遺産部主任研究員 高橋 知奈津)

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