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遺跡とテーマパーク

2024年7月

 2004年、奈文研が中心となって準備した「曙光の時代」展(※1)がドイツで開催されました。日本考古学の最新の成果を紹介したもので、当時、文化庁の文化財調査官だった私は、展覧会の運営担当として、1ヶ月あまり開催地のマンハイムに滞在しました。そこに旧知のOさんたちが展覧会を見にきて、「ごっつい展覧会やな!帰ったらムッチャ宣伝せなあかん。」と感想を述べていました。後日、私たちは共通の知人が激賞していた、デュッセルドルフ近郊にあるネアンデルタール博物館を訪れました。確かにパネルなどは工夫されていましたが、観覧しているうちに違和感を覚えてきました。展示は人骨や石器などのレプリカやパネルだけで、「本物」がないのです。Oさんも、「テーマパークだと思えば、面白いのでしょうけど。」と、同様の感想を抱いたようで、博物館のあり方について考えさせられたものです。

 話は変わりますが、奈文研と中国社会科学院との学術交流の第1回目として、私は1991年に中国を訪れました。当時は郊外へ行くと農村風景が広がっており、外国人に未開放の地域も多くありました。私は土器を研究していましたので、河北省南部の磁県にある「磁州窯へ行きたい。」と希望しました。未開放地区でしたが大丈夫、ということで、戦前に日本が建てた村役場で、新中国成立後に初めて訪れた外国人として歓待を受けたことを覚えています。遺跡を訪れると、農村風景の中に陶磁器類の破片が散乱していて、当時の姿を思い描くことができました。その時同行してくれた研究員にその写真を最近見せたところ、「今ではそういう風景はもうない。」とのことでした。近年の経済発展と引き換えに、各地の遺跡も大きく姿を変えてしまったようです。

 1991年には西安にも行き、唐大明宮の含元殿を訪れました。のどかな農村風景の中に、巨大な基壇の盛土がそびえていました(写真1)。

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写真1 含元殿の基壇(西から) 1991年筆者撮影

「本物」の迫力に圧倒され、感動を覚えました。2020年に久しぶりに訪問したところ、遺跡は大きく姿を変えていました。含元殿の基壇はきれいに整備され、威容を誇っています(写真2)。

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写真2 整備された含元殿の基壇(南東から) 2020年筆者撮影

大明宮は全体が遺跡公園となり、様々なアトラクションを演じるテーマパーク化していました。多くの観光客が訪れ、遺跡を知ってもらうのには良いのでしょうが、案内してくれた知人は、「昔の遺跡の雰囲気が失われ、残念だと言う人もいます。」と言っていました。この様な状況は、中国各地の遺跡でみられます。平城宮跡の整備のあり方と比べ、感慨を抱いたものです。遺跡をどう見せ、活用するかは難しい課題で、理念が必要だと感じます。

※1
奈文研監修『日本の考古学―ドイツで開催された「曙光の時代」展』小学館2005年。
2005年3~5月に、奈良国立博物館で帰国展が開かれました。
https://www.narahaku.go.jp/exhibition/special/200503_shoko/

(都城発掘調査部特任研究員 玉田 芳英)

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