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遺跡に刻まれた災害の爪痕2

2023年11月

 以前(2019年4月)このコラムの中で、平城京跡から発見された過去の地震による、地割れや液状化に伴った砂脈や噴砂の痕跡について紹介させてもらいました。そこで触れた、全国の発掘調査で発見される様々な災害の痕跡情報を収集して、「いつ」「どこで」「どのような」災害が、「なに」によって発生したのかを地図上で確認できる、「歴史災害痕跡データベース」(以後、「データベース」という)の運用が、まだまだ小さいながらはじまりました。今回は前回の続きの話として、このデータベースの画面を使い、発掘調査で発見される災害痕跡がどのように役に立ちそうか、お伝えしていきたいと思います。

 図1は、長岡京跡(向日市、長岡京市、京都市、大山崎町)とその周辺の発掘調査の成果※1について、調査地点ごとに災害情報を示したものです(MURATA、2022)。左のパネルにあるように、表示できる災害は、「地震」「火山噴火」「水害」「副次的災害」「その他」さらにそれらの複合があり、それに加えて「調査地点」、すなわち災害痕跡の発見されなかった地点を示すことができます。表示に使った地図の内容は、図1の下端に記載した通りです。

 さて今回、特に地震痕跡について話を進めます。長岡京跡は、断層盆地である京都(山城)盆地の西縁に位置し、「樫原断層」が大極殿院や朝堂院の想定位置に係るように分布しています(図1)。長岡京跡より北側の遺跡(中海道遺跡や南条遺跡)では、この樫原断層付近の調査地から地割れや地滑りといった地震痕跡(図中の星黒)が発見され、さらに物集女での露頭調査から、地質学的に断層の存在が確認されました(植村、1990)。一方、その南側は長岡京跡の発掘調査の中で、この断層付近から複数の地震痕跡が発見されています。しかし断層の南端が急激に東に向かう周辺では地震痕跡は発見されず、むしろ東旋回せず南に延伸した周辺に地震痕跡が分布し、その分布はさらに南に向かうのです(破線A)。災害痕跡の発見されなかった地点(調査地点)と合わせると、この傾向は明瞭で、何らかの地盤の脆弱性が隠れていることが示唆されています。今後の地質調査が待たれる地域です。また、そういう意味で地震痕跡の分布を見ると、破線B~Fといった集中エリアが浮かび上がるように思えるのです。この原因となるメカニズムは、残念ながら未だ明らかとなっていません。しかし、このような災害履歴の「見える化」は、今後の防災研究だけでなく、私たちの将来に活かせる情報ではないでしょうか。文化財の保護や記録を目指す遺跡の調査は、結果的に「温故知新」ともいえる、私たちの将来にも役に立つ過去からの情報源となるでしょう。今後、可能な限り迅速に、データベースの表示地域の拡大も進めていきたいと考えています。

注記
※1 コラムで紹介したデータは、向日市教育委員会・公益財団法人向日市埋蔵文化財センター、公益財団法人長岡京市埋蔵文化財センター、財団法人京都市埋蔵文化財研究所、および大山崎町教育委員会の発掘調査成果にもとづく。

参考文献
Taisuke Murata, 2022, 'The Construction of the Historical Disaster Evidence Database and its Effectiveness', JDR, Vol.17 No.3 pp. 420-429.
植村善博、1990、京都盆地西縁の変動地形と第四紀テクトニクス、立命館地理学、第2号、pp.37-56。

図1 長岡京跡および周辺遺跡調査から明らかとなった災害痕跡の分布と京都盆地西縁の地形分布

(埋蔵文化財センター主任研究員 村田 泰輔)

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