みなさん、こんにちは。 今年の夏も、平城宮跡資料館では子供向けの企画展を開催予定です。 昨年は初の子供向け展示「平城京どうぶつえん」を開催し、 おかげさまで来場者の皆さんから大変好評を頂戴いたしました。 今年もなんとか面白い子供向け展示を、と頭を随分ひねりまして…、 「平...
続きを読む2014年6月16日~21日の支援状況 南相馬市での復興調査(東町遺跡・上渋佐原田遺跡)への支援が始まって1月半が過ぎました。例年より早く梅雨入りした東北地方南部でしたが、今週は梅雨の中休みということで大きく天気が崩れることはありませんでした。 一時は遅れ気味と思われた縄文時代中期・古代の集落遺跡で...
続きを読むこれはなんでしょう? 『飛鳥の甍』展示準備のため、学芸も明日香地域の甍めぐりをしています。栗原の集落で、不思議な屋根を発見。このような、屋根の上の小屋根を越屋根(こしやね)とよびます。民家ではカマドの煙り出しになるのが一般的です。でも、三つも並ぶのは例がありません。これはトイレ? ちょうど所有者の方...
続きを読む箸や匙 底部分に影響 古代の人たちはどのような食器を使っていたのでしょう。 古代には木製や金属製の食器もありましたが、最も広く使われたのは土器でした。飛鳥・奈良時代の土器をみると、20年ほどのサイクルで形や作り方が微妙に変化しています。こうした変化の特徴を手がかりに、奈文研は遺構などの年...
続きを読む46万か所 分布図も公表 日本全国に遺跡はいくつあるのでしょうか。2013年3月に文化庁が発表した最新のデータによると、その数、実に46万5021か所。5年前にくらべ約7700か所も増えました。単純計算で、1県あたり約1万か所の遺跡があることになります。日本の国土面積から計算すると、1平方キ...
続きを読む2014年6月9日~13日の支援状況 今週も引き続き、縄文時代中期・古代の集落遺跡である東町遺跡と平安時代の集落遺跡である上渋佐原田遺跡の発掘調査に参加しました。ともに南相馬市教育委員会が担当する現場ですが、それに加え東町遺跡は、茨城県・高知県からの派遣メンバーに福島県教育庁、福島県文化振興...
続きを読む2014年6月2日~6日の支援状況 暦が6月にかわりました。今週も縄文時代中期・古代の集落遺跡である東町遺跡と平安時代の集落遺跡である上渋佐原田遺跡の発掘調査の様子をお伝えします。 東町遺跡では、縄文時代中期の竪穴住居の遺構が数多くみつかっており、それにともなう複式炉もすでに十数基を数え...
続きを読む四季が生む"物差し" 木の切り株に見えるバウムクーヘンのようなしま模様――。そう、年輪のことは皆さんよく知っていますよね。奈文研には、年輪を調べる研究室があります。文化財を扱う研究所なのに、不思議だと思いませんか? それは、年輪を調べることで、その木が生えていた時代の...
続きを読む墳丘削り 新都の礎築く 平城宮跡(奈良市)の北端に小山のように残る市庭(いちにわ)古墳。この古墳は本来、全長253メートルの巨大な前方後円墳でした。平城宮の建設時、宮の敷地に入る前方部が削られ、濠(ほり)も埋め立てられ、後円部の一部だけが残されました。 同じく平城宮跡の中にあった神明野(...
続きを読む奈良文化財研究所史料「第68冊(2004) 古代東アジアの金属製容器I (中国編) 」を電子公開しました。 本文をPDFで閲覧いただけます。 https://www.nabunken.go.jp/publication/shiryo.html 目次 第1章 序言 1 調査の経緯...
続きを読む2014年5月26日~30日の支援状況 先週に引き続き、縄文時代中期・古代の集落遺跡である東町遺跡と、平安時代の集落遺跡である上渋佐原田遺跡の発掘調査に従事しました。 東町遺跡では、縄文時代中期の竪穴住居の遺構が数多くみつかっており、しかもそれらが重なり合いながら検出されているため、土層...
続きを読む奈良文化財研究所学報「第48冊(1990) 年輪に歴史を読む」(DENDROCHRONOLOGY IN JAPAN ,RESEARCH REPORT OF THE NARA NATIONAL CULTURAL PROPERTIES RESEARCH INSTITUTE No.48)を電子公開しま...
続きを読む上手な字 書けるまで 古代の役所では日々、様々な文書が作られていました。もちろんパソコンなどはありませんから、すべて手書きです。役人たちには、文字を正しく美しく、書きこなす能力が求められました。 平城京や藤原京・飛鳥地域の発掘調査では、彼らが文字の練習をした、手習いの木簡(墨で文字を書い...
続きを読む土器の中 込めた祈り 皆さんは「地鎮祭(じちんさい)」を知っていますか? 家を建てる時に、土地の神様を鎮(しず)め、その許しを得るための祭りです。地鎮祭は今でも広く営まれていますが、その始まりは、およそ1300年前の藤原京の時代にさかのぼります。今回は、古代の地鎮祭のお話です。 古代の人...
続きを読む今回の特別展に先立ち、「現代の匠」である小泉武寛先生に和同開珎の製作を行っていただきました。製作は現代の手法も一部使用していますが、古代の銅銭のつくりかたを再現しています。会場では、小泉先生作の和同開珎とともに、その製作工程を撮影した映像を用いて鋳造技術の工程を紹介しています。 会場では飛...
続きを読む飛鳥時代には、古墳時代以来の土師器や須恵器に加え、瓦や塼仏、施釉陶器など、新たな焼き物が作られる時代でもあります。このうち瓦や塼仏は笵を用いて成形したことが知られています。また、暗文を施した土師器の椀は、光沢をもつ金属製の椀をまねて作ったものと考えられています。さらに、施釉陶器に用いる釉薬は、...
続きを読む大量生産のジレンマ 屋根に瓦をふいた家は現在、普通に見られます。しかし奈良時代には、瓦は貴重で、瓦ぶきの建物は、宮殿や寺院、役所に限られていました。 中でも奈良時代の平城宮(奈良市)では、膨大な量の瓦が使われました。2010年に復元された第1次大極殿にふかれた瓦は、なんと10万枚にも上り...
続きを読む自然と人の共同作品 奈良らしい風景。それは大きな寺院があって、その前に鹿のいる風景だけではありません。 例えば、柿の木や梅が谷間を埋める五條市の風景、茶せんの材料となる竹林が風に揺れる生駒市高山の風景、そうめんを寒干しする桜井市の冬の風景など、個性豊かな風景が県内各所に見られます。 ...
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