土師器製作 女性の仕事 平城京で日常的に使用された土器には、素焼きで赤っぽい色の土師器(はじき)と、窯で焼かれた灰色の須恵器があります。このうち須恵器は、大阪府や奈良県の窯で焼かれたもののほかに、遠く愛知県や岐阜県でつくられ、都に運ばれてきたものもありました。 一方、土師器は、その多くが平城...
続きを読む巧みに日本風アレンジ アメリカ版のドラえもんは、ピザが好物なんだとか。他の文化を取り込む時に、自国の文化に合うようにアレンジすることは、古代からよく見られることです。 中国では、紀元前にはすでに土器の表面に、釉薬(ゆうやく)を塗る技術がありました。これが日本に伝わるのは、飛鳥時代。朝鮮半島の...
続きを読む国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開 二次募集いたします。 国宝高松塚古墳壁画仮設修理施設において、壁画・石材の修理作業を行っている「修理作業室」を公開します。制約された条件の下での公開となりますが、修理期間中の壁画・石材の状況を公開することにより、国民の皆様の壁画保存対策事業への理解を深め...
続きを読む用途に応じサイズ色々 奈良時代の役人たちが仕事で字を書くために使った木簡。書かれている内容に目が行きがちですが、今回は木簡の大きさに注目してみましょう。 木簡には用途に応じて色々なサイズがありました。おおざっぱにいうと、片手で持って字を書きやすい長さのものが多いと言えるでしょう。 では、...
続きを読むこつこつ分割撮影合成 漢字で書けば写真地図。カタカナよりわかりやすいでしょうか。最近では、写真と撮影位置情報を連動させ、インターネットの地図上で表示したものもフォトマップと呼ぶようです。 しかし、奈文研が取り組むフォトマップは少し違います。極彩色壁画で有名な高松塚古墳とキトラ古墳では、石室内...
続きを読む埋蔵文化財ニュースNo.13,145,146,149,153,154,156,157(CAO NEWS Centre for Archaeological Operations)を電子公開しました。 本文をPDFで閲覧いただけます。 https://www.nabunken.go.jp/pub...
続きを読む2014年12月 ふしぎなことに、藤原宮の下層では藤原京に敷設されたものと同じ規格の条坊道路が通されています。藤原宮に先行する条坊という意味で「(宮内)先行条坊」とよんでいます。 分かりやすい例で見てみましょう。藤原宮大極殿です。下の写真は、大極殿の北側でおこなった発掘調査の様子で、大極殿址を北か...
続きを読む「藤原宮東方官衙の発掘調査(飛鳥藤原第183次調査)」現地見学会資料 を電子公開しました。 本文をPDFで閲覧いただけます。 https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/14925 1ページ目...
続きを読む埋蔵文化財ニュースNo.117,121,125,129,133,137,140,141(CAO NEWS Centre for Archaeological Operations)を電子公開しました。 本文をPDFで閲覧いただけます。 https://www.nabunken.go.jp/pu...
続きを読む埋蔵文化財ニュースNo.101~103,107,112,114(CAO NEWS Centre for Archaeological Operations)を電子公開しました。 本文をPDFで閲覧いただけます。 https://www.nabunken.go.jp/publication/ma...
続きを読む二つの金堂 回廊ぐるり 西大寺の境内を散策すると、本堂の目の前に東塔の基壇があります。それでは創建時の金堂はどこにあったのでしょうか。奈良時代の財産目録である『西大寺資財流記(るき)帳』をみると、西大寺には薬師金堂と弥勒(みろく)金堂という二つの金堂があり、その周囲を回廊がめぐっていたことが記録...
続きを読む八角塔 謎めいた説話 小学校の教科書にも出てくる東大寺に比べると、西大寺は少し影が薄いかもしれません。とはいえこの西大寺、奈良時代後半に称徳天皇によって造営された当時は、東大寺に並ぶ平城京の西の大寺でした。 その壮大な奈良時代の伽藍(がらん)は、度重なる火災や災害によって次第に失われ、現在の...
続きを読む2014年12月 私が所属する史料研究室の主な仕事に、木簡の解読があります。今とほとんど同じ漢字を使っているとはいえ、およそ1300年前の人びとが書いた文字を読み解くのは、なかなか一筋縄ではいきません。私が出会った中で印象に残っている木簡を1点、ご紹介したいと思います。 その木簡は、平城...
続きを読む歴史の変遷 200年見守り 平城京遷都1300年にあたる2010年に復元された平城宮第一次大極殿。その歴史が今回のテーマです。第一次大極殿が実際に平城宮にあったのは、平城京遷都(710年)直後から、恭仁京(くにきょう)遷都(740年)までのわずか30年間ほどのことでした。 恭仁京遷都にともな...
続きを読む埋蔵文化財ニュースNo.96~98 (CAO NEWS Centre for Archaeological Operations)を電子公開しました。本文をPDFで閲覧いただけます。 https://www.nabunken.go.jp/publication/maibunnews.html ...
続きを読む平城宮跡資料館秋期特別展「地下の正倉院展-木簡を科学する-」パンフレット を学術情報リポジトリで公開しました。 本文をPDFで閲覧いただけます。 http://repository.nabunken.go.jp/dspace/handle/11177/2473 ・ごあいさつ ・木簡と探査 ・木簡×科...
続きを読む埋蔵文化財ニュースNo.81, 82, 84, 85, 89, 90 (CAO NEWS Centre for Archaeological Operations)を電子公開しました。 本文をPDFで閲覧いただけます。 https://www.nabunken.go.jp/publicatio...
続きを読む埋蔵文化財ニュースNo.64, 66, 67, 69, 72~79 (CAO NEWS Centre for Archaeological Operations)を電子公開しました。 本文をPDFで閲覧いただけます。 https://www.nabunken.go.jp/publication...
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