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藤原宮内先行条坊の謎

2014年12月

 ふしぎなことに、藤原宮の下層では藤原京に敷設されたものと同じ規格の条坊道路が通されています。藤原宮に先行する条坊という意味で「(宮内)先行条坊」とよんでいます。

分かりやすい例で見てみましょう。藤原宮大極殿です。下の写真は、大極殿の北側でおこなった発掘調査の様子で、大極殿址を北から撮影したものです。中央に大きな南北道路が通っています。これは藤原京の朱雀大路にそのままつながる道路なのですが、大極殿の基壇の下に消えていくのが分かります。つまり、藤原京条坊は藤原宮部分を含めて一体的に施行され、藤原宮部分では造営にあたって埋めたてられたと考えられます。

 先行条坊は現在、藤原宮下層のいたるところで検出されています。今年おこなった調査でも、やはり想定位置に先行条坊がとおっていたことを確認しています。先行条坊は、藤原宮下層全域に敷設されていたとみてよいのでしょう。なお、先行条坊はいまのところ藤原宮にだけ認められ、平城宮など他の宮殿では確認されていません。

 では、なぜ藤原宮造営予定地には条坊が施工されているのでしょうか?この問いに対して、藤原宮の位置が、条坊敷設当初には厳密に決まっていなかったためとする意見があります(これを宮地未定説と呼びたいとおもいます)。先行条坊が宮外の藤原京条坊とおなじ規格で作られていることに加え、藤原宮の下層でも建物や塀が建てられ、宮外と同じように坪内が利用されていた時期があるため、当初はその場所が藤原宮になることが決定していなかったと考えるのです。『日本書紀』には、条坊施工がある程度すすんだ天武13年(684)3月に、天皇が「宮室の地を定」めたという記事があるのですが、これも宮地未定説では無理なく理解できます。

 これに対し、藤原宮は先行条坊を基準に設計されているのであり、先行条坊は宮・京を設計するための測量成果を土地に記すという意味もあるのだから、宮建設予定地にも条坊施工がなされていることは不自然ではないという意見があります(測量基準説と呼んでおきます)。新しい京の造営という壮大な国家的計画が、宮地も未定のまま進められたというのはあまりに不自然だというのです。根拠があるわけではないとはいえ、確かにこれは宮地未定説には不利な印象があります。

 しかし、先行条坊を厳密に利用しているといえるのは先行朱雀大路計画線(道路中心線)およびこれと先行四条大路計画線との交点だけですので、測量基準説では宮内にくまなく条坊側溝を掘削した理由をうまく説明できないようです。また、藤原宮造営時には、すでに先行条坊の側溝は埋め立てられていますし、埋め立てから藤原宮建物の建設開始までには数年の時間があくことも、測量基準説には不都合な事実に思えます。

 藤原宮・京の造営とは、中国式都城の実現に取り組んだ我が国最初の試みであり、試行錯誤の産物であることを考えれば、先行条坊が存在する理由はおのずと明らかと思われますが、みなさんはどう考えますか?

藤原宮第20次先行朱雀大路.jpg

藤原宮第20次調査で検出した大極殿北方の先行朱雀大路(北から)

      (都城発掘調査部研究員 森先 一貴)