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藤原京の京域

2015年1月

 奈文研が継続的に調査をおこなっている藤原京は、日本初の本格的な中国式都城です。

 藤原京の中心となる藤原宮は約1㎞四方の広さで、その宮の周囲には条坊道路が碁盤目状に通っていました。

 では藤原京は一体どのくらいの大きさだったのでしょうか?

 実は、藤原京の大きさはまだわかっていません。藤原京には中国の都城のような羅城が存在せず、京の範囲を明確に示すものがありません。京域については、これまで様々な復元案が出されていますが、その中で現在通説となっているのは南北十条・東西十坊に復元する説です。この十条十坊説では、京の形は一辺5.3㎞四方の正方形で、その中央に約1㎞四方の藤原宮が正しく配置されることとなり、地図の上では非常に整った姿となります。発掘調査では、この十条十坊説に適う位置で、東京極と西京極と考えられる道路遺構が確認されています。また、中国の『周礼』という書物には、理想的な都城の要素として正方形の都城の中央に宮をおくことなどが挙げられています。藤原京十条十坊説はその記載とも一致し、古代中国の都城の理想型を目指して造られたと解釈されています。

 このように出土遺構とも中国の文献とも合致した十条十坊説ですが、復元案を地図に当てはめてみると若干の疑問点も見つかります。

 まず南方に山や丘陵が多いことです。京中軸付近の南京極想定地には、甘樫丘をはじめとする丘陵や丘が点在しています。また、十条十坊の京域の東南部は飛鳥の東に広がる山々に占められています。京の南部~東南部は直線道路を通すことのできる地形ではありません。

 また、発掘調査の成果をみると、山田道より南では九条大路側溝(条坊呼称は平城京に準ずる。以下同じ。)の可能性のある東西溝が1本確認されているだけで、そのほかには条坊道路の遺構は検出されていません。さらに、九条条間路の北(藤原宮の中心である大極殿院南門より約1.8㎞南の地点)でおこなわれた発掘調査では朱雀大路が想定位置で確認されておらず、このことから、朱雀大路の敷設は不完全だったと推測できます。京の中軸を通る朱雀大路でさえこのような状況だったことを考えると、他の条坊道路がどこまでしっかり整備されていたのかわかりません。

 図面の上ではきれいな正方形をなす十条十坊の藤原京ですが、実際の地形や発掘調査成果を考慮すると、その実態は随分と違っていたようです。

 果たして藤原京建設はどのような計画のもとでおこなわれたのでしょうか。

 理想的な都城建設のため、十条十坊の設計図だけはあったとする考え方もできますが、『周礼』に書かれたような都城を藤原の地に造ろうとした場合、道路を通せない南側の丘陵地を京内に取り込むような計画を立てたかどうかは疑問です。また、宮内に通る先行条坊道路の存在から、藤原京造営開始時点では藤原宮の位置が決まっていなかったという考えもあります(参照記事:藤原宮内先行条坊の謎)。宮の位置が定まっていなければ、『周礼』に則った正確な都城の設計図は作れなかったでしょう。

 このように藤原京の大きさや形態についてはまだ検討すべき点が多く残されています。今後も藤原京の発掘調査は続いていきます。その成果から、藤原京の真の姿が徐々に明らかになると期待しています。

藤原京の航空写真.jpg

藤原京の航空写真(外側の線が十条十坊説の藤原京の範囲。内側の線は藤原宮の範囲。)

      (都城発掘調査部研究員 若杉 智宏)