
昨日までで上成基壇のほとんどを解体することができました(写真1)。解体しながら基壇の状況を調べています。たとえば躯体部内部には、西側と南側の入り口部をふさいでいた閉塞石が倒れ込んだ状態で発見されました。写真2の奥に並んでいる大形の石材です。解体と併行して、躯体部の仮組を続行しています。写真3は...
続きを読む
本日南祠堂躯体部の北面の仮組が終了しました。北面は扉口を5段石材でふさいでいます。躯体部の内部落下石材の中から西面をふさぐ石材も見つかったので、南祠堂は東側だけに開口部を持つ建物であることがわかりました。 この後15日には躯体部の下面、上成基壇上面の実測と写真撮影を終え、基...
続きを読む
3月8日に無事に西トップ遺跡修復工事起工式を終えることができました。まず工事の無事を祈って5人の僧侶による読経が行われました(写真1)。その後APSARAの考古遺産局長マオ・ロア氏と、難波企画調整部長(写真2)の挨拶が行われました。挨拶の終了後、中央祠堂の石材に見立てた小形砂岩をクレーンで移動...
続きを読む
西トップ遺跡では解体修理に向けた準備が急ピッチで進んでいます。まず遺跡北側に現場事務所を建設中です。瓦屋根のクメール風建築で、解体修理終了後は展示施設として使用の予定です。 遺跡南側では南祠堂の仮組に使用するコンクリート基盤を建設中です。本日はコンクリート打設が終了間際です...
続きを読む
2012年3月 ラニガト遺跡は、パキスタン・ガンダーラ地域の東を限る山並みの一角に営まれた、この地で最大級の仏教寺院の址である。京都大学の調査隊によるこの遺跡の発掘調査の報告書の本文篇が、調査から四半世紀を経て昨年末にようやく刊行された。この報告書は、現在、奈文研が調査と修復に関与しているアフガニ...
続きを読む
2012年1月 昭和12年(1937)の暮れのこと。西大寺小字畑山にある低丘陵の掘削工事中に、金銭が出土し、工事現場は騒然となりました。あわてて工事を中断し、掘り起こした土をフルイにかけたところ、金銭が31枚と大型銀銭の破片、金の延板、金塊、銀鋺などが見つかり、新聞の紙面を飾る一大ニュースとなりま...
続きを読む
平城京歴史館 (2011年6月3日) 梅雨時の平城宮跡 (2011年6月3日) 梅雨時の平城宮跡 (2011年6月3日) 東院庭園の南門 (2011年6月9日) 東院庭園 (2011年6月9日) 東院庭園 (2011年6月9日) 平城宮跡は暑い (2011年6月23日) 熱中症予防 (2011年6...
続きを読む
2011年6月 今から15年も前、1996年の春だった。大阪府埋蔵文化財センターの井上智博さんから、東大阪市と八尾市とにまたがる池島・福万寺遺跡の弥生時代の水田跡を発掘しているのだが、鳥の足跡がたくさん残っているので種類がわからないだろうかと電話がありました。 この遺跡は生駒山の西麓にあたり、弥...
続きを読む
近鉄と朱雀門 (2011年4月7日) 佐伯門跡 (2011年4月8日) 朝の平城宮跡 (2011年4月8日) 平城宮跡資料館 (2011年4月12日) 桜が満開!(2011年4月13日) 青空に大極殿 (2011年4月13日) 平城宮でお花見 (2011年4月13日) 桜が満開! (2011年4月...
続きを読む
2011年2月 『万葉集』巻一八・4109番に「紅(くれなゐ)は うつろふものそ 橡(つるはみ)の なれにし衣(きぬ)に なほしかめやも」という歌が、掲載されています。 これは、大伴家持が、天平感宝元年(749)5月15日につくりました。 意味は、東野治之さんらの解説によると、「紅は 色あせる...
続きを読む
2010年11月 私は最近『平城京ロマン』と題する本を上梓しました。昨年奈文研を辞し東京農業大学の教官となった若き研究者・粟野隆氏との共著で、京阪名情報教育出版株式会社という奈良の小さな本屋さんからの出版です。私はこの本の中で平城京の成り立ちと、平城京廃都後のさまざまな動きについての項の執筆をうけ...
続きを読む
年輪年代学では、木材の年輪変動を調べることにより、その木の伐採年代や枯死年代を求めことができます。 この方法の1番の特徴は、木材試料中の各年輪が形成された年を1年単位で決定できる点であり、得られた年代に誤差がないという点では数ある自然科学的年代測定の中でもとりわけ優れた方法です。 欧米ではポピ...
続きを読む
フィールドワーク 平城宮跡では建物の礎石や基壇が数多く出土します。これらのうち、風化によって脆くなった凝灰岩石材などは、有機ケイ素化合物(有機シリコーン樹脂)で含浸強化した後、撥水処理を行います。飛鳥地域では、閃緑岩が著しく風化しているのを見かけます。(写真1) また、非常に脆くなった遺物を取り...
続きを読む
貝塚を掘ると、貝層の中から貝殻はもちろんのこと、土器や石器、獣骨、鳥骨、魚骨などが数多く出土します。 戦前の考古学者は土器や石器を人工遺物とよび、貝殻、獣骨、鳥骨、種子、木材片、岩石などを自然遺物として分類しました。前者は考古学者が、後者は自然科学者が研究するものと定義したのです。その結果、長い...
続きを読む
藤原京の建設 役人の歌 役民は全国各地から徴発され、造営に関わるさまざまな仕事に従事した作業員である。『万葉集』巻一「藤原宮の役民の作る歌」からは、木材調達の様子をうかがい知ることができる。それによると、近江の田上山から伐りだした木を筏に組み、宇治川・木津川をへて、泉の津(木津)で陸あげをおこなって...
続きを読む
2009年8月 あまの原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 百人一首に収められたこの歌は、皆さんもよくご存じのことと思います。作者の阿倍仲麻呂は、都が藤原京にあった文武天皇2年(698)に阿倍船守の子として生まれました。名族阿倍氏の出身で、若くして学才を認められた仲麻呂が遣唐留...
続きを読む