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作寶樓の由来

2004年4月
 
 作寶樓というのは、奈良時代の皇族宰相として有名な長屋王(687~729年)の屋敷につくられた二階建て建物であり、また屋敷の雅号だったかもしれません。  
 国道24号線の建設にともなう発掘調査で、ウワナベ古墳の東南、東三坊大路の東側で古墳の濠を利用した立派な庭園が発見されました。  
 そこで私たちは、作宝楼でつくられた漢詩に描かれた佐保の情景、新たに発見された木簡、あるいは巧みな作庭技術などから、ここを長屋王邸の作宝楼に想定しました。  

 その後の調査で、平城宮跡の東南部に近い現イトーヨーカドーの敷地が長屋王と吉備内親王夫妻の邸宅であることがはっきりしましたので、ウワナベ古墳東南の庭園を作宝楼とする考えに疑問をはさむ人もでてきました。  
 しかし、長屋王が父の高市皇子から受け継いだ本来の屋敷がウワナベ古墳東南にあって、そこを別荘風に利用して作宝楼と呼んだ可能性も捨て切れません。それはともかく、作宝楼は奈良時代初期を代表する政治家・官僚・僧侶などの文化人、さらには新羅・渤海などからやってきた使節を招いて、文学を語り詩歌を競い合った一種の文芸サロンの様相を呈していました。  
 その成果の一部が、奈良時代の漢詩集である『懐風藻』に収録されていることはあまりにも有名であります。 

 長屋王の故事にちなんで、わが研究所のホームページにもうける小さなサロンの名前に「作宝楼」を拝借することにしました。このコーナーでは文化財保護に関連するいかめしい話題ではなく、わが研究所や周辺で見かける肩のこらないちょっといい話を取り上げようと思っております。
(所長 町田 章)
※肩書きは執筆当時のものです。