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あまちゃん2

2015年8月 

 前回のあまちゃん(2013年5月掲載)では、アワビをめぐって人と海との関わりをひもときました。今回はまた違った題材から、その歴史を考えてみたいと思います。

 海と親しむには、ダイビングが近道です。意外なことに、ウミウシが女性に人気です。カラフルな姿に癒されるようで、カープ女子ならぬウミ女子です。近い姿のアメフラシもなかなかの人気で、こちらはアメ女子ですね。

 ここからは、縄文時代の話をします。海辺の集落は、津波が到達しない高台にあることが多く、水の確保が重要でした。もちろん水道の蛇口はなく、谷筋の水場に汲みに行きました。苦労して得た水口に含んだら、生き返った心地がしたことでしょう。

 縄文時代には、海産物に関する驚くべき遺跡があります。東京都北区の中里貝塚です。カキを大量に採取して干し貝に加工しており、養殖をしていた可能性も考えられています。そこで気になるのは、稚貝の種、市場もないのにどのように確保したのでしょうか。とは言え、地域の特産品で、内陸の地と交易をしていたのでしょう。大分県に一村一品(いっそんいっぴん)運動がありますが、その先輩です。流通は、今なら阪奈落合インターまで、など、モータリゼーションを活用できますが、徒歩での交易です。賞味期限は設定されていませんが、黒ずんだものは食べないほうが良いですね。

 縄文時代には、生業の一環として捕鯨も行っていました。日本人はこの頃から、自然の恵みを余すことなく利用していました。クジラの舌(ベロ)もご馳走です。ベロにかけた情熱を感じます。また、マグロ漁も縄文時代から盛んに行われていたことをご存知でしたか。当時は丸木舟しかありませんが、それで沖に出、回遊してくるマグロを狙います。ここで登場する伝説の漁師は、名前がミク寝起きすぐの朝5時頃に出漁です。グリニッジ標準時(GMT)では午後8時頃ですね。釣り糸はやはり極太巻き上げるのも大変だったでしょうが、その技能年々高まっていきました。現在マグロの価格は比較的落ち着いていますが、30年前は高かったですね。どれだけバブルの時は異常だったのでしょうか。

 宮城県の縄文時代中期の波怒棄館(はぬきだて)遺跡からは、マグロの骨が多量に出土しました。しかも、骨には解体に使った石器4が刺さっているものもありました。漁獲したマグロの加工、流通センターだった可能性が考えられ、縄文時代の生業の復原に大きな貢献をしました。実はこの遺跡も震災復興事業で調査したもので、遺物を当研究所の研究員が粘り強く分析した成果です(なぶんけんブログ:「東日本大震災復興支援」参照)。その他にも、奈文研はまだ各方面で震災復興のための調査に携わっています。皆さまのさらなるご理解とご支援を、重ねてお願いする次第です。

 【余談】前回「あまちゃん」のキーワードは10個でした。今回の「あまちゃん2」では14個で、この後におまけが2個あります。おわかりになりましたか。 えっ、さらなる続編は、ですか。まっ3回目はエリートの方に執筆をお願いしましょう。

中里貝塚のカキ層_北区飛鳥山博物館許可済.jpg

中里貝塚のカキ層 ◇写真・北区飛鳥山博物館ご提供

波怒棄館遺跡から出土したマグロの骨_玉田部長.jpg

波怒棄館遺跡から出土したマグロの骨

 (都城発掘調査部長 玉田 芳英)

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