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平城宮第一次大極殿院東楼の竣工

 20263月、奈良の宮殿建築がまた一つ、平城宮跡によみがえりました。第一次大極殿院の正面を飾る「東楼」が、2022年の復原整備工事の開始から3年あまりの時を経て竣工したのです。(写真1

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写真1 竣工東楼

 大極殿を取り囲む「第一次大極殿院」のエリアは平城宮のシンボルとして、奈良時代前半には国家の重要な儀式をおこなう場でした。東楼はその正面を飾る楼閣建築で、天平2年(730)頃に回廊の一部を解体してつくられました。『続日本紀』の記載から、ここでは天皇による宴が催されたと考えられます。

 

 今回は、東楼の竣工にあわせ、復原された東楼のみどころを紹介したいと思います。まずは外側に立つ高く太い柱。高さ約12m。径約75cm、重さは約2トンもあります。この柱は1ヵ所を除きすべて「掘立柱」で、根元が埋まっています。1973年の東楼の発掘調査では、奈良時代に掘立柱を立てた穴の一つから、巨大な柱根が出土しました。これは平城宮跡の発掘調査で出土した柱の中でも最も太いもので、平城宮いざない館の展示室で、今も実物を間近に見ることができます。奈良時代の人がこんな太い柱を使って東楼を建設したのかと思うとワクワクします。(写真2

news96-5-2.jpg写真2 東楼から出土した柱根

 外側の柱が掘立柱なのに対し、内部の柱は礎石の上に柱を立てていました。出土した礎石から想定された内部の柱の径は45cmほど。掘立柱に比べて細いのが特徴です。なぜ、東楼では、このような掘立柱と礎石建ちの柱を併用したのでしょう?

 その謎を解く手がかりとなったのが、東楼と対称の位置にある西楼で2002年におこなわれた発掘調査の成果です。西楼の基壇を検討したところ、外側の掘立柱を立てた後に内部の礎石建ちの柱を立てたことがわかりました。当時、発掘調査を担当した先輩達が粘り強く土層の断面を検証していた姿は、今も強く印象に残っています。(写真3)(写真4

news96-5-3.jpg写真3 西楼の柱穴の断割調査

news96-5-4.jpg写真4 西楼から出土した礎石

 発掘調査から復原にいたる長年の研究を積み重ね、東西楼の柱は、外側の掘立柱が屋根を支え、内側の礎石建ちの柱が上層の床を支えるという役割の違いがあったと考えられるようになりました。

 

 今春、竣工した復原東楼も、掘立柱と礎石建ち柱の違いを再現しています。現存する古建築には例のない、掘立柱と礎石建ちの柱を併用した東楼。見学の際には、ぜひ建物の足元にも注目してお楽しみください!

(建造物遺構研究室 西田紀子)

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