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巡訪研究室(23)都城発掘調査部(飛鳥・藤原地区)考古第三研究室

 飛鳥寺や本薬師寺などの寺院跡や、藤原宮・京跡を発掘しますと、かつてそこに建ち並んでいた数々の建物に葺かれていた古代瓦が大量に出土します。かつて、藤原宮朝堂院東第六堂跡を発掘した際には、コンテナ数が4,000箱にも及ぶ瓦が出土しました(第136次調査、20042005年)。それらの古代瓦を整理・収蔵し、それらの分析を通じた研究を行っているのが考古第三研究室です。実際の整理作業・研究については、すでに平城地区の様子を詳しく紹介していますので(巡訪研究室(12)「都城発掘調査部(平城地区)考古第三研究室」)、今回は、飛鳥・藤原地区ならではの特徴と、近年の研究成果を交えながら、考古第三研究室(飛鳥・藤原地区)についてご紹介いたします。

「標本棚」に見る瓦の歴史
 崇峻天皇元年(588)、日本最古の寺院である飛鳥寺の造営に伴って、百済から4人の瓦博士が飛鳥の地に派遣され、瓦を製作したことが我が国の瓦の歴史の始まりとされています。そこで、飛鳥寺から出土する軒丸瓦を見ますと、実に20種類が確認されており、創建期のものだけでも10種類が存在することが明らかとなっています。そのため、実際に出土した軒丸瓦がどの種類=型式に相当するかを判断するために、見本となる瓦を並べた「標本棚」を作り、そこで実物の瓦を相互に見比べながら型式を判定することとしています。

 飛鳥寺のように飛鳥・藤原地区の寺院跡を発掘しますと、通常複数の型式の軒瓦が出土することから、この標本棚には、山田寺跡や川原寺、本薬師寺跡など、奈良文化財研究所が調査した諸寺院のほとんどの型式の軒瓦を並べてあります。そのため、これらの標本棚は飛鳥寺に始まる我が国の瓦の歴史を一望できる重要な場所となっています。そういう意味でも、この標本棚は考古第三研究室の「心臓部」と言っても過言ではありません。

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飛鳥寺出土の軒瓦です。このように、多くの型式が確認されています。

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標式となる軒瓦を守るため、震災対策としてネットを設置しています。

藤原宮の瓦の「出身地」について
 飛鳥・藤原地区で行われる発掘調査の中で、最も瓦が出土するのが藤原宮跡の調査です。出土する瓦のほとんどは文様をもたない丸瓦・平瓦ですが、紋様のある軒瓦も多数出土します。これらの軒瓦も1点ずつ標本棚と付き合わせて、どのような型式が藤原宮のどの場所から出土しているのか分析を重ねています。

 それと併行して、これらの軒瓦がどこで作られたのか、いわゆる「出身地」の研究も進めています。これまでの研究によると、藤原宮の軒瓦は奈良盆地産とそれ以外の地域産(遠い場所では近江、淡路、讃岐など)に大別され、奈良盆地産の軒瓦は藤原宮中枢部に、それ以外の地域を「出身地」とする軒瓦は藤原宮大垣を中心に用いられたことが明らかとなっています。

 「出身地」を明らかにするには、各生産地の瓦窯跡から出土した瓦と藤原宮出土瓦について、それぞれの胎土や製作技法を比較することが重要です。このうち胎土については、近年科学的分析を行うことによって、肉眼での観察結果を補強できるような成果が得られるようになりました。藤原宮跡出土軒瓦の中には、まだ「出身地」が明らかでないものもありますので、今後分析を重ねていく予定です。

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・藤原宮跡出土軒瓦の標本棚です。現在ではこれらの「出身地」が明らかになりつつあります。

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・胎土分析をするために、サンプリングを行っています。

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・顕微鏡観察を行うことによって、藤原宮跡出土瓦の胎土を詳細に分析していきます
(写真は藤原宮跡出土軒平瓦6647D型式の胎土)。

 「出身地」が明らかになったとしても、研究が終わるわけではありません。写真は藤原宮跡のすぐ南に位置する日高山瓦窯の発掘調査の状況です(1978年撮影)。現在、この瓦窯から出土した瓦の再検討を行っており、当時の瓦の生産体制がどのようなものであったのかについて、分析を進めています。また、瓦窯の現地についても再調査を行う方向で準備を始めており、その成果も合わせた研究を進めたいと考えています。

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 ・1978年に行われた日高山瓦窯の発掘状況です。

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 ・出土した瓦の実測図を作成しています。

鴟尾の復元と研究
 近年、考古第三研究室で取り組んでいるテーマの一つに、鴟尾の研究があります。鴟尾は大型建物の棟飾りとして用いられる道具瓦で、平城宮第一次大極殿や東大寺大仏殿では光り輝く鴟尾が燦然と据えられています。しかし、平城宮・京跡では鴟尾の出土例が非常に少なく、金銅製の鴟尾が後世に金属材料としてリサイクルされてしまったためと考えられています。一方、飛鳥・藤原地域で用いられた鴟尾は瓦製であるため、発掘調査で発見されることがあります。

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 ・平城宮第一次大極殿で復元された金銅製の鴟尾です。

 下の写真は坂田寺から出土した鴟尾の破片です。鴟尾は道具瓦の中でも極めて大きいため、常に粉々に壊れた破片として出土します。しかも、破片のすべてが出土するわけではなく、見つからないパーツがあるのが通常です。しかしながら、この状態から全形の復元を試みていくのが私たちの仕事です。その作業は、さながら立体的なジグゾーパズルを解き明かすのと全く同じです。

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・坂田寺出土の鴟尾の破片です。まるでジグゾーパズルのようです。

 作業の結果、以下のような復元図面が作成できました。これを見ますと、概ね高さ約1mの鴟尾だったようです。そしてこの復元図をもとに、この鴟尾がどのように作られ、どのような系譜に位置づけられるのかといった研究がスタートすることになります。

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・これを、立体的に復元していきます。

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 ・復元すると、このような形状の鴟尾だったことが判明しました。

若きホープの集う場所
 この春、考古第三研究室にも異動や新人の採用が生じた結果、室員4人の平均年齢が32.5歳(2021年4月現在)と都城発掘調査部でも1、2を争うほど低くなり、若きホープが集う場所となりました。

 その中に、平安時代の瓦を専門とする研究員がおります(都城発掘調査部で最も若い研究員です)。飛鳥・藤原地区で平安時代の瓦?と思われる方もおられるかと思いますが、飛鳥時代に建てられた寺院であっても、後世まで法灯を継ぎ、平安時代の瓦が用いられている事例が存在します(川原寺など)。したがって、これらの瓦がどこで作られ、どのように流通していたか、分析と検討を進めていくのも私たちの課題です。これから、若きホープ達が明らかにしてくれることを期待します。

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・若きホープ達が集っている様子です。ここから新たなアイデアが芽生えていきます。

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・川原寺出土の平安時代の瓦です。これがどのような歴史を語ってくれるのでしょうか?

 瓦は現代の私たちにとってもなじみの深い建築資材であり、今でも建物を見上げればすぐに目にすることができます。きっと、古代の人々も同じような目線で瓦を眺めていたことでしょう。考古第三研究室では、古代の瓦を通じて、その瓦を見つめていた古代の人々の想いや感性に迫れるよう日々研究に取り組んでいきたいと考えています。

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