なぜこの技術が必要だったのか?
皆さんは博物館で貴重な文化財を見学したとき、「360度色々な角度から詳しく見てみたい」、「もっと近くでじっくり観察したい」と思ったことはありませんか?
近年、そんな願いを叶えるためにデジタル技術を応用した文化財の三次元計測が進んでいます。三次元計測に利用するデジタル技術の中でも、対象を撮影した複数の画像から三次元モデルを再構築するフォトグラメトリは、特別な機材が不要で、デジタルカメラとパソコンがあれば導入できる方法です。農業・服飾・自動車・ゲーム・映像・土木などの産業や、生物学・鉱物学などの学術分野、そして私たちの健康に欠かすことのできない医療など、様々な分野で普及しています。
このフォトグラメトリは、当初はカメラ1台で撮影した画像を利用していましたが、その後の進展によって、カメラを100台以上用いて同時に撮影したり、UAV(Unmanned Aerial Vehicle)に搭載したりして、その迅速化と汎用性がはかられてきました。
ただ、これまでの進展では解決できていない課題が1つありました。それは、土器の底面や鏡の裏面など、対象をすべての方向から撮影したい場合、必ず底面や裏面が見えるように資料の置き方を変える必要があることです。
したがって、脆弱な資料や固定できる置き方が限定されている資料など、置き方を変えることが出来ない資料は、資料全体を三次元計測することはできません。これは、三次元レーザースキャナーを利用した三次元計測においても同様の課題です。
この課題の解決は、文化財のみならず、フォトグラメトリを応用している様々な分野の進展に繋がります。
これまでの課題
資料の置き方を変えずに撮影する方法は、たとえば、文化財を透明度の高いアクリル板やガラス板を利用した台を使う方法があります。しかし、文化財を透明な台の上に設置して透明台越しに撮影して三次元計測すると、光の屈折率の違いによる「虚像」が発生します。
これは、光が透明材料を通過する際に屈折することで起こります。まるで水の中の物体が実際の位置とは違う場所に見えるのと同じです。この虚像により、フォトグラメトリの精度が大幅に低下し、文化財の正確な三次元計測ができませんでした。
虚像をキャンセルする発想
そこで私たちが考えたのは、「虚像が発生することを前提として、それを後から取り除く」という逆転の発想でした。「虚像を発生させないようにする」のではなく、「虚像が含まれた画像から虚像だけを綺麗に除去する」キャンセリングシステムの開発に挑戦したのです【図1】。
【図1】光の屈折率の違いによる虚像の発生とキャンセリングのイメージ
図の出典:「提供 奈良文化財研究所」
「文化財データリポジトリ 奈良文化財研究所公開画像」
(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/cultural-data-repository/68)を加工して作成
技術の仕組み〜どうやって虚像を消すのか
新しく開発したキャンセリングシステムの核心は、以下の要素で構成しています。
- ・透明な設置台:撮影対象物を載せる台
- ・基準マーカー:屈折のパターンを算出する基準
- ・撮影:市販のデジタルカメラ
- ・虚像キャンセリングプログラム:虚像を除去する画像処理プログラム
この仕組みを用いて撮影した画像から、透明台を通さずに直接撮影した画像の部分と、透明台を通して撮影した虚像を含む画像の部分をコンピューターによる画像処理プログラムを用いて自動的に分類します。
その後、虚像のキャンセリングを次の順におこないます。
- ・透明台による屈折パターンを数学的に算出
- ・虚像が生じた画像から載置台による屈折パターンを逆算
- ・虚像部分を特定して除去し、虚像が発生していない画像を生成
- ・直接画像と虚像をキャンセリングした画像を合成
最後に、これらの画像から三次元モデルを構築します。
特許技術がもたらす効果
この技術は、文化財の三次元形状と質感の安全な記録を実現し、文化財デジタルツインの構築による未来への継承に寄与します。また、文化財以外にも、服飾分野のオンラインファッション通販や、鉱工業分野の寸法・品質などの確認、ゲーム・映像製作分野の三次元データ製作、そのほか様々な学術分野の三次元計測などに貢献します。
ここまで、今回登録した特許のうち、光の屈折率の違いによる歪みの補正について説明しました。実は、この特許にはもう一つ特徴があります。それは、カメラの位置をロボット制御する装置(ガントリー)を組み合わせていることです。このガントリーは、資料をあらゆる角度からの撮影を実現するものです。キャンセリング技術とガントリーの組み合わせは、資料を一度設置したらその後は一切動かさない三次元計測を可能にします。
今後の展望
現在、この技術を実際に動作する装置を開発して、三次元計測成果の精度検証を実施し、実際の文化財調査の現場に導入する取組を進めています。この技術は、日本はもとより世界中の貴重な文化財の、より簡便なデジタル化を支援するものです。その結果、どこでも誰でも手軽に文化財を楽しむ時代が近づくと期待します。
謝辞
この特許(特許第7642264号)は、令和7年2月28日に正式に登録されました。
この技術が文化財の保護と継承、そして多くの人々が文化財に親しむきっかけづくりに貢献できることを心から願っています。
この特許は、JSPS科研費 基盤C「三次元データで拓く木簡研究の新地平JP22K00887, 基盤A「簡牘の形態に関する新研究:三次元形態解析による古文書学・考古学・年輪年代学の融合」JP22H00022の助成を受けた研究成果の一部です。
特許情報
- 特許番号:特許第7642264号
- 発明の名称:虚像キャンセリング方法及びそれを用いた3Dモデル生成装置
- 特許権者:独立行政法人国立文化財機構
- 登録日:令和7年2月28日(2025年2月28日)
- URL:https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-7642264/15/ja
この技術についてご質問やご興味がおありの方は、お気軽にお問い合わせください。
(埋蔵文化財センター主任研究員 山口 欧志)
