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平城宮の謎を解くカギ―東院南方遺跡の発掘調査に着手!!

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【写真1】右手に建部門(東院南門)、奥に第一次大極殿がみえる発掘調査地(東南から)

 平城宮東院庭園のすぐ南。現在も田畑が広がり秋には黄金色の稲穂が風にそよぐこの地は、東院南方遺跡と呼ばれています。平城京左京二条二坊三・四・五・六坪にあたりますが、実は、平城宮の一つの謎を解く重要なカギを握る遺跡とも考えられています。

 平城宮に先行する藤原宮や、平城宮がモデルとした唐の長安城、これらの宮殿は整った方形をしています。しかし平城宮は宮の東端の北側四分の三だけが東に張り出し(東院地区)、その南に当たる宮の東南隅が切り欠かれたような形をしています。なぜそんないびつな形をしているのか?東院南方遺跡は、まさにその切り欠かれた部分にあたる遺跡で、そのため平城宮のいびつな形の謎を解くカギとなる遺跡とされているのです。

 2024年の冬、奈文研ではこの東院南方遺跡中枢部の本格的な学術調査に初めて着手しました。目的はこの地に何があったのかをあきらかにすること。そしてそれを通じて、今も田畑として往時の景観を残すこの地、そしてその地下に残る遺跡を、将来に渡り守り伝えていくことです。

 調査区は東院南方遺跡のど真ん中に南北8m、東西20mの大きさで設定しました。つい最近まで田んぼとして使われていた土を取り除くと・・・地表下わずか5070㎝ほどで、奈良時代の遺構が良好に残っていることを確認しました。

 発見した遺構は、二条二坊三・四・五・六坪を区切る東西・南北の道路とその側溝、そしてそれらを埋め立てて建てられた3棟以上の建物などです。道路は幅7mほどで、平城京が造られた当初のものとみられます。また、その道路は奈良時代の中頃には埋め立てられ、4坪を一体とする広大な土地として利用されるようになったことがあきらかになりました。4坪一体の土地の使用法は通常の宅地としてはあり得ない格の高いもので、平城宮直近の超一等地であるこの地が並々ならぬ目的で使用されたことがわかります。

 4坪一体として使われる以前、奈良時代の前半には東院南方遺跡のうちの東南部分には藤原不比等の子、藤原麻呂の邸宅があったとの説が唱えられています。今後はそうした説の内実や、なぜ4坪一体として利用するようになったのかについても解明していきたいと考えています。

 奈文研では今後数ヵ年をかけて、東院南方遺跡の発掘調査を継続していく予定です。今後の続報を楽しみにお待ちください。


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          【写真2】発掘調査風景 道路の側溝と建物の柱穴が見え始めたところ           

(都城発掘調査部主任研究員 川畑 純)

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