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聖武天皇の大嘗祭木簡

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「大嘗分」「大嘗贄」と記された木簡

 去る2024年は、聖武天皇が即位した神亀元年(724)から1300年の節目にあたる年でした。この記念すべき年に、聖武天皇の大嘗祭に関わる木簡群(約4,000点。うち削屑3,500点以上)がみつかりました。「大嘗分」「大嘗贄」の文言は、木簡に付けられた品が、大嘗祭で用いるために都へ運ばれたことを明確に示しています。「神亀元年」の紀年銘(きねんめい)木簡は、木簡の「大嘗」が聖武天皇のときであることをあきらかにしました。

 大嘗祭の詳細は、平安時代、9世紀後半頃に作成された儀式マニュアルから、復元されてきました。これに対して、奈良時代の儀式の詳細は、文献史料に記されることは少なく、発掘調査でみつかった大嘗祭の遺構からの推定にとどまります。大嘗祭木簡の発見は、史料に乏しい奈良時代の大嘗祭、とりわけその物品調達の実態を解明する、この上ない手がかりとして期待を集めました。

 木簡に記された物品名は、その多くが、大嘗祭に用意される、「供進雑物(ぐうしんぞうもつ)」と呼ばれる神様へのお供え物と一致しており、出土した木簡に、神への供物の付札が含まれていることは間違いありません。くわえて、聖武天皇大嘗祭がおこなわれた前年、養老7年(72310月の年紀をもつ、安房国(現在の千葉県南部)の調の鰒(アワビ)の荷札もみつかりました。大嘗祭に用いられる物品のなかには、大嘗祭のために特別に納められたものだけではなく、諸国からの税も充てられていたようです。

 それにもまして驚かされたのは、出土した荷札の多くが、備中国荷札とみられることです。備中国(現在の岡山県西部)に属するすべての郡のものが、あわせて130点以上出土しているのに対し、明確に備中国以外からもたらされた荷札は、わずか5点に限られます。一つの国の荷札がこれほどまでに集中する事例は、現存する木簡が列島で出土して以来120年、はじめての経験でした。

 大嘗祭木簡の中心をなす、「供進雑物」と備中国荷札の木簡は、奈良国立博物館特別陳列「聖武天皇の大嘗祭木簡」(会期:20241022日~1111日)、平城宮跡資料館秋期特別展「聖武天皇が即位したとき。-聖武天皇1300年記念-」(会期:1022日~128日)で、粒ぞろいの44点を展示、公開し、その保存状態の良さと鮮明な文字は、延べ18,000人を超える観覧者を魅了しました。

 木簡の洗浄がほぼ完了した現在、備中国へ集中する傾向はさらに確実になりました。なぜ備中国に集中するのか。この問いの解明とともに、木簡群の特質をあきらかにするために、膨大な削屑の釈読を鋭意進めているところです。

(文化遺産部歴史史料研究室長 山本 崇)

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