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巡訪研究室(9)都城発掘調査部(飛鳥・藤原地区)史料研究室

(2024年3月末まで)

【飛鳥時代の考古学―『日本書紀』『続日本紀』を掘る】
 都城発掘調査部がおこなう発掘調査には、歴史学のスタッフが考古学の研究者とチームを組んで参加しています。歴史時代の考古学は、文字で記された史料が重要な手がかりとなるからです。藤原宮跡で検出した7基の柱穴が『続日本紀』にみえる大宝元年(701)元日朝賀に立てられた旗竿であることを明らかにした調査は、その好例です(写真①)。

写真① 大宝元年元日朝賀のようすの復元。復元した幢幡を検出した柱穴付近に配置した。奥の森が藤原宮大極殿(南から)。


写真② 飛鳥・藤原地域から出土した主な木簡。右から、石神遺跡出土の乙丑年荷札(赤外線画像)、飛鳥池遺跡出土の「天皇」木簡(赤外線画像)、藤原宮跡出土の文書木簡。

【木簡の整理作業―史料研究室の日常業務】
 史料研究室は、出土する遺物のうち木簡の整理を担当しています。木簡は、地中から出土した墨などで文字が記された木製品のことで、日本各地の遺跡から、古代から戦前までのものが46万8千点余り出土しています。和銅3年(710)に平城京に遷都する以前、藤原宮期までの木簡は全国で4万5千点ほど知られ、飛鳥・藤原地区ではそのうち3万9千点余りを保管しています(2019年末現在)。そのなかには、「乙丑年」(天智天皇4年=665年)の年紀を記した最古の荷札木簡や「天皇」と記した最古の木簡、藤原宮で使われた行政文書の木簡などがあります(写真②)。ここでは、木簡の整理作業の過程を紹介します。

出土 木簡は、地中の安定した環境で豊富な地下水に守られてきました。多くの木簡は、木片やそのほかの有機物とまじって出土するため、発見時には特有のにおい(「上品な、くさったどぶのにおい」)を感じます。1300年以上の長い間地中に埋もれていた木簡は、大量の水分を含んでおり、空気にさらすと急速に乾燥が進み壊れてしまいます。また、紫外線は、人間のお肌のみならず、木簡にとっても大敵です。そこで、出土から当分の間、木簡を水に浸した状態で保管します。奈文研では、腐食を防ぐため、ホウ酸とホウ砂をまぜた薄い水溶液を用いています。
洗浄 木簡はとても脆弱な遺物であるため、現場から土ごと持ち帰り、整理室で洗浄します。威勢よくゴシゴシ洗ってしまうと、墨まで洗い落としかねません。そのため、柔らかい穂先の筆を選び、壊さないよう慎重かつ丁寧に取り扱います(写真③④)。
記帳・釈読 洗浄した木簡は、その形状や書かれている文字を記録します。この作業を記帳と呼びます。記帳は、木簡をじっくり観察する機会であり、釈読のためのもっとも基本的な作業です。木簡の観察は肉眼を基本としますが、文字を読むためには赤外線機器を用いることも多く(写真⑤)、木取りや樹種の判断には顕微鏡が欠かせません(写真⑥)。

写真③ 木簡の洗浄作業。


写真④ 洗浄に使う筆や道具。通称「なみへい」という、毛一本のみを残した筆(黒い柄の筆)を自作します。


写真⑤ 赤外線機器を用いた木簡観察のようす。木肌は赤外線を反射して白く、墨は赤外線を吸収して黒く映ります。


写真⑥ 実体顕微鏡による木簡の画像。近年、木の専門家の指導をうけつつ、私たち自身でも樹種や木取りなどの観察を試みるようにしています。


撮影 写真は、写真室のスタッフが撮影します(写真⑦)。撮影した写真は、原寸大で写真台紙に貼り付けて整理されます。これらの写真は、しばしば書籍や各地の博物館図録などに利用されており、写真貸し出しの手配も意外に頻度の高い業務の一つです。

写真⑦ 写真室のスタッフによる撮影のようす。かつては大判のモノクロフィルム、近年はカラー・赤外のデジタル画像で解像度の高い記録を残しています。


釈文の公表 記帳、撮影により現状を記録し釈読できた木簡は、奈文研紀要の発掘報告や『飛鳥・藤原宮発掘調査出土木簡概報』(現在22号まで刊行)、奈文研のデータベース「木簡庫」などでその主要なものを紹介しています。
保管 公表した木簡は、普段は人が立ち入らない収蔵庫で大切に保管しています(写真⑧)。こののち木簡の現物をみることはごくごく稀で、日常的な調査研究は記帳と写真台紙を用います。年に一度、水替えと呼ぶ木簡の保管状態を確認する作業をおこないます。バットの水は減っていないか、汚れていないか、木簡を保護するざぶとんは腐食していないか。ぬめり、異臭、汚れなど異変を見落とさぬよう、まさに五感を駆使して点検します(写真⑨)。人間ドックのような、木簡の健康診断ともいえます。

【木簡の公開と保存―史料研究室の長期的な業務】
正報告の刊行 1文字以上釈読できたものを対象に、原寸大の写真を掲載した正報告書(図録)を作成します。1978年に刊行した『藤原宮木簡一』以来、これまで『藤原宮木簡』を4冊、飛鳥地域・藤原京域を対象にした『飛鳥藤原京木簡』を2冊刊行しました(写真⑩)。ただ、図録の刊行には周到な準備と研究が必要で、30年近く前の出土資料をも対象に粛々と刊行しているところです。

写真⑧ 水漬け木簡の収蔵庫。


写真⑨ 水替えのようす。木簡を保管している1000を超えるすべてのバットの状態を確認します。汚れていれば、木簡を丁寧に取り出し、水とざぶとんを取り替えます。


写真⑩ 飛鳥・藤原地区史料研究室の刊行物。最新刊『藤原宮木簡四』(2019年)までで、飛鳥・藤原地区で保管する木簡の約70%を対象に正報告を終えました。


写真⑪ 2019年4月に開催した展示のリーフレット表紙。


展示公開 2010年に飛鳥資料館で開催した「木簡黎明」展は、全国の主な7世紀木簡を一堂に会したもので、7世紀木簡の優品を簡便にみられる図録とともに好評を博しました。このほか、水漬け状態の木簡をご覧いただく展示も随時企画しています(写真⑪)。
保存処理 正報告を終えた木簡は、科学的な保存処理をほどこします。保存処理は、木簡をより安定した環境で保管するために欠かせない作業です。保存科学を担当する職員と相談しながら進めますが、処理のための準備作業も多く、保存処理はなかなか進みません。保存処理を済ませた木簡は、報告済木簡の18%、保管する木簡全体では3%に限られています。

【最近の調査研究】
 飛鳥・藤原地区史料研究室では、現在3つのプロジェクトを主催しています。
明日香村西橘遺跡木簡の研究 この研究は、奈良県の明日香村からの受託研究として、西橘遺跡から出土した約270点の木簡について、保存処理を経たうえであらためて釈文を確定し、遺跡の性格を明らかにするためのものです。この遺跡から出土した土器は7世紀後半の基準資料となりうる一括性の高い重要な資料群であり、木簡は、その年代を確定する鍵になります。外部の有識者をお招きした検討会を継続して開催し、その性格が明らかになりはじめています(2019~2022年度予定)。
古代但馬国関係出土文字資料の研究 この研究は、兵庫県豊岡市との連携研究として、古代但馬国関係の出土文字資料を悉皆調査して、古代但馬国の性格を明らかにするためのものです。これまでに木簡459点、墨書土器約1200点の調査と撮影を終え、現在、その成果報告書を編集しています(2016~2021年度予定)。
畿内仏都圏出土墨書土器の収集 この研究は、科学研究費の助成をうけておこなっているもので、畿内とその近国の墨書土器、刻書土器、文字瓦などの出土文字資料を収集し調査研究の基盤を作成することを目的としています。現在、まず奈良県内の出土資料12000点余りをまとめ公表する準備を進めています(2016~2019年度)。
 以上のほか、飛鳥・藤原地区史料研究室は、全国の調査機関からの依頼により木簡や墨書土器などの釈読に協力したり、大極殿院復原研究にかかわる平安時代までの文献史料の収集、呪符木簡の研究など、さまざまな調査研究を進めています。とはいえ、飛鳥・藤原地区に配属され、史料研究室の業務にかかわる研究職員は筆者一人。その歩みは牛歩のごときもので、多くの方々の助力なしにはいかんともしがたいところです。

【終わりに】
 飛鳥・藤原地区史料研究室での木簡の解読は、飛鳥・藤原宮の時代に生きた人びとから、おそらくはその意図に反して伝えられた「地下からの贈り物」を受け取り、古代の人びとを除いて最初に解読するという、身に余る贅沢な仕事です。木簡の難解な文字を前にして何時間も悩みつづけたのちに、その「解」がふっと舞い降りてきたとき、不思議な陶酔感に浸ることがあります。このときの心地よさは、我われ木簡読みの醍醐味だと思います。


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