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(189)瓦窯の革命

焼成室改良で大量生産

 日本の瓦づくりは6世紀の終わり頃に百済から伝わりました。このころの瓦を焼いた窯は、傾斜地にそって斜めのトンネルを掘ってつくった窖窯(あながま)(登窯(のぼりがま))でした。古墳時代の5世紀に、やはり朝鮮半島から伝わった須恵器の焼成窯を応用した構造です。

 6世紀に伝わった瓦は、もともと寺院の専用品でした。しかし7世紀末以降になると、藤原宮や平城宮の主要な建物に瓦ぶきが採用され始め、瓦の需要は一気に高まりました。短期間に瓦を大量に生産する方法が求められたのです。瓦窯の改良は都づくりの大きな課題でしたが、奈良時代の中頃には有畦式平窯(ゆうけいしきひらがま)と呼ばれる瓦窯が、平城京の北側にある奈良山丘陵の地で発明されました。

 従来の窖窯との違いは、瓦を焼く空間(焼成室)を小さく平らにし、床に作った溝に炎を導き、窯全体に均一に熱がまわるようにしたことです。これによって短時間で焼き損じの少ない効率的な瓦の生産が実現しました。

 有畦式平窯はこれ以後、戦国時代に達磨(だるま)窯ができるまでの約800年間、瓦焼き専用の窯として使用され続けました。平城宮と平城京で生じた多量の瓦の需要が、瓦生産に革命を引き起こしたのです。

 

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瓦窯の模式図

(奈良文化財研究所主任研究員 今井晃樹)

(読売新聞2018年3月20日掲載)

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