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(182)天皇の憩いの場

二つの池に大庭園跡

 奈良市の平城宮の北には満々と水をたたえる大きな池が二つあります。現在、水上池(みずかみいけ)と佐紀(さき)池と呼ばれていますが、これらの池は平城宮の庭園(禁苑(きんえん))の一部でした。

 水上池は平城宮北方の東寄りに位置します。池の南辺が平城宮の北面築地大垣と一致することから、大垣と同時につくられたと考えられます。

 江戸時代末頃の記録によると、池には出島や中島が10か所もあったといい、北岸に現在も残る出島はその唯一の遺構です。奈良時代には「楯波池(たたなみ)」と呼ばれ、池の北西には井上内親王の斎宮があったと考えられています。

 佐紀池は平城宮北方の西寄りに位置します。奈良時代当初に造営され、池の東側は川原石を敷き詰めた緩やかな州浜状の岸、西側には出島がつくられました。池の西に「池田」という地名が残ることから、かつては西側にも広がっていたようです。

 奈良時代には「西池」あるいは「鳥池塘(とりちとう)」「蓮池」と呼ばれ、池の南西から「西池宮」とみられる宮殿跡もみつかっています。池辺では天皇が貴族らと歌詠みや曲水の宴(うたげ)を楽しみました。

 平城宮の北側には奈良山丘陵や古墳群を利用した広大な禁苑が広がっていました。そこは天皇の憩いの場所であるとともに、政治の裏舞台でもあったのです。

 

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大極殿(中央右)の奥が水上池、手前の3か所のうち中央が佐紀池=奈良文化財研究所提供

(奈良文化財研究所主任研究員 今井晃樹)

(読売新聞2017年11月21日掲載)

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