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(177)様々な石の仏

山林修行者 活動の跡

 古代の東アジアでは、都の近くに石窟(せっくつ)を造営することが盛んに行われました。中国には隋唐洛陽城の近くの龍門石窟に皇帝勅願の大仏があります。韓国では統一新羅時代に王族が都の東に石窟(石仏寺)を造営し、慶州南山にも多数の石仏、磨崖仏(まがいぶつ)がつくられました。

 日本でも平城京の周辺に石窟や磨崖仏がいくつか残っています。石窟は奈良市の「地獄谷石窟仏」(聖人窟)、大阪府太子町の「鹿谷寺(ろくたんじ)跡」と古代寺院跡「岩屋」の3か所が有名です。いずれも凝灰岩の露頭に横穴を掘り、奥壁に三尊仏を線刻あるいは浮き彫りしています。磨崖仏は京都府の笠置山、奈良市滝寺、宇陀市飯降、五條市宇智川にあり、岩山の崖面に線刻や浅い浮き彫りで仏像を彫刻しています。

 これらの石仏は中国や韓国と比べると小規模ですが、石窟には中国、磨崖仏には新羅の影響が認められます。奈良盆地周囲の山は、花崗(かこう)岩や安山岩などの硬い岩が多いため、線刻や浅い浮き彫りの磨崖仏が主体です。

 一方、横穴を掘る石窟は軟らかい凝灰岩の崖面が選ばれています。これらの石仏は天皇や貴族による造営ではなく、山林修行者の活動の跡と考えられています。奈良時代仏教の知られざる一面を垣間見ることのできる遺跡です。

 

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「聖人窟」とも呼ばれる奈良市の地獄谷石窟仏。釈迦如来像など様々な仏が表現されている

(奈良文化財研究所主任研究員 今井晃樹)

(読売新聞2017年9月5日掲載)

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