検討重ねた復元案
平城京跡の中心・朱雀大路に立ち、真っすぐ北を見ると、朱雀門の向こうに第一次大極殿の姿を見ることができます。では、奈良時代もこのように見えていたのでしょうか。
朱雀門の向こうには、朝堂(ちょうどう)など数々の建物が並び、大極殿の手前には回廊の南門、東楼、西楼がそびえ立っていたはずです。この3棟はまるで仲の良い3兄弟のように東西に並び、それぞれが朱雀門に負けないくらい大きな2階建ての建物だったと考えられています。なぜ2階建ての建物が3棟も並んでいたとわかるのでしょう。
この答えに行き着くまでには、40年以上におよぶ研究の歴史がありました。それがよくわかるのが、年代ごとに建物の形が異なる四つの復元案です。見比べるとまるで間違い探しのようですね。これらは当時最新の発掘成果をもとに、現存する奈良時代の建物や、古い文献にみられる情報を調べ、たび重なる検討の末に生まれた、その時々の研究成果なのです。
このような過程を経て生まれるのが復元建物です。小学生の皆さんが大人になった頃には、朱雀門や第一次大極殿とともに、復元された南門、東楼、西楼が実際に建ち並ぶ姿を目にすることができるでしょう。
様々に検討が重ねられた復元案
(奈良文化財研究所アソシエイトフェロー 大橋正浩)
(読売新聞2017年5月16日掲載)