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(163)藤原宮の幢幡シリーズ(下)

「文物の儀是に備われり」

 8年越しの調査により、私たちは、大宝元年(701年)に藤原宮(橿原市)で初めて立てられた7本の幢幡(どうばん)(儀式を飾る旗竿(ざお))の遺構を見つけました。文献記録のある時代の遺跡を発掘調査していても、その成果と記述が見事に一致する事例は、そう多くはありません。近年の藤原宮跡の調査では、最も重要な発見といえるでしょう。

 「続日本紀(しょくにほんぎ)」は、7本の幢幡を立て並べた大宝元年の元日朝賀(年始の儀式)の様子を、「文物の儀是(ここ)に備われり」と評しています。この記述は日本の文化が整ったことを高々と宣言したもので、烏形(うぎょう)、日・月像、四神からなる7本の幢幡はそのシンボルともいえます。

 藤原宮に始まる7本の幢幡は、奈良時代以降にも天皇の即位式などの重要な儀式を飾りました。その位置は、正門(南門)の南から門の内側へ、平安宮(京都市)では大極殿のすぐ前へと変化し、その配置は、奈良時代半ば頃までに東西一直線となり、江戸時代まで基本的に継承されていきます。

 7本の幢幡の具体的な姿は、『文安御即位(ぶんあんごそくい)調度図』に描かれた幢幡の絵から知ることができますが、なぜ、平城宮(奈良市)では直線的な配置へと変化したのでしょうか。新たな発見が、新たな謎を生み出しました。

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7本の幢幡を立てて営まれた元日朝賀のイメージ図

(奈良文化財研究所主任研究員 山本崇)◇作画・早川和子

(読売新聞2017年1月29日掲載)

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