配列 陰陽五行の世界観
前回ご紹介したように、藤原宮(橿原市)で大宝元年(701年)に幢幡(どうばん)(儀式を飾る旗竿(ざお))を立てた柱穴は、これまでの常識を覆すものでした。
奈良時代の恭仁(くに)宮(京都府木津川市)や平城宮(奈良市)で立てられた7本の幢幡は、いずれも横長の柱穴に、3本の柱(幢幡を飾る中央の柱と、それを支える2本の脇柱)を立てたもので、東西一直線上に20尺(約6メートル)の間隔で並んでいました。これは儀式の様子を描いた資料とも一致していましたから、7本の幢幡はこのように立てられていたと誰もが考えていたのです。
しかし、藤原宮の幢幡を立てた柱穴は正方形で、東西一直線上に並ぶものではありませんでした。大極殿院南門の階段南端中央から南へ70尺(約21メートル)の位置に1基。その東と西40尺(約12メートル)、北30尺(約9メートル)の位置に1基ずつ、さらにそこから東と西20尺、北5尺(約1・5メートル)と南15尺(約4・5メートル)の位置に1基ずつ配されるという、私たちが初めて目にするものでした。
「続日本紀(しょくにほんぎ)」によると、7本の幢幡は烏形(うぎょう)の幢、日・月像、四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)の幡から構成されます。この日月、四神は高松塚古墳やキトラ古墳の壁画にも見られ、古代人が理想とした「陰陽五行」の世界観を表現したものです。藤原宮の幢幡も、まさにこの思想の理念に基づいて配列されたと考えられます。
藤原宮に立てられた7本の幢幡の配列模式図
(奈良文化財研究所主任研究員 西山和宏)
(読売新聞2017年1月22日掲載)