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(161)藤原宮の幢幡シリーズ(上)

幢幡遺構 8年越しに証明

 「続日本紀(しょくにほんぎ)」には、大宝元年(701年)の元日に烏形(うぎょう)、日月、四神の7本の幢幡(どうばん)(儀式を飾る旗竿(ざお))を立てて朝賀(ちょうが)(年始の儀式)を行ったという有名な記事があります。2016年の藤原宮(橿原市)の調査で、この7本の幢幡を立てたとみられる大型の柱穴が、大極殿を取り囲む区画「大極殿院」の南門のすぐ南側で見つかりました。

 7基の柱穴は、中央の1基が藤原宮の中軸上にあり、その東西に各3基が三角形状に並んでいました。この幢幡遺構について、これから3回にわたり紹介します。

 実は、中央と東側の3基の柱穴は、08年の調査で見つかっていました。反対の西側にも同様の柱穴があれば計7基となり、続日本紀の記載に該当すると考えましたが、当時は確証がなく、現地説明会では「謎の穴」として紹介しました。

 と言うのも、奈良時代の平城宮(奈良市)のように、大極殿の前に7基が一直線に並ぶ可能性も残されていたからです。このため、さらに調査を進めましたが、大極殿の前からは幢幡遺構は見つかりませんでした。

 そこで、08年に見つかっていた柱穴が再び候補として浮上しました。その西側を16年に調査したところ、対称の位置に3基の柱穴が期待通りに見つかり、ついに7基の幢幡遺構が明らかになりました。仮説を立てながら積み重ねた地道な発掘調査が、7本の幢幡の最初の姿を8年越しに明らかにしたのです。

 

(161)藤原宮の幢幡シリーズ(上).jpg

柱穴そばに設置された幢幡の復元模型(南から撮影)。左側の三つが新たに見つかった

(奈良文化財研究所研究員 大澤正吾)

(読売新聞2017年1月15日掲載)

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