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(158)ペルシャ人とソグド人

 酔胡王のモデル どっち?

 奈良文化財研究所・平城宮跡資料館(奈良市)の秋期特別展「地下の正倉院展」では、「破斯清道」という人名が読み取れる木簡が展示されて話題になりました。「破斯」がペルシャを表す「波斯」と同じなら、ペルシャ人が平城宮で働いていたことを示す重要な資料となります。

 ペルシャ人が注目された機会に、同じイラン系のソグド人のことも知ってもらいたいと思います。

 ペルシャ人と違い、ソグド人は商売をするために、はるか東の中国にまで押し寄せていました。唐の成立前から、中国北部の大きなまちにはソグド人の集落がありました。集落を治めた首領の墓が5基ほど見つかっています。

 遺体を置く石の寝台には、その人の生前の姿が彫刻されますが、面白いことにソグド人の首領は決まって帽子をかぶっています。帽子はソグド人の首領のトレードマークだったようです。

 奈良国立博物館で開かれる正倉院展で「酔胡王(すいこおう)」と呼ばれる伎楽面を見たことはありませんか。ペルシャの王をモデルとする解説をよく見ますが、注目してほしいのは、酔胡王がソグド人の首領と同じような帽子をかぶっていることです。中国で豊かな生活を送り、時々お酒を飲み過ぎていたソグド人の首領が、酔胡王のモデルではないかと考えられます。

 

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(右)正倉院宝物の「酔胡王」
(左)中国・西安で出土した葬具に表されたソグド人の首領

(奈良文化財研究所アソシエイトフェロー 影山悦子)

(読売新聞2016年11月20日掲載)

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