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(152)明治時代の小学校(下)

土瓶に煤 何度も使用

 鉛筆やノートがなかった時代、子供たちは石盤という小さな黒板に、石筆という硬いチョークのようなもので字を書いて勉強しました。大乗院庭園の池のなかからは、たくさんの石盤、石筆が出土しました。

 池のなかの出土品をよく見ると、土瓶と呼ばれる陶製のヤカンやコンロが多いことに気がつきました。明治時代、まだプラスチックのなかった時代、陶器が商品を入れる容器などに使われていました。もっとも有名なのは、汽車土瓶と呼ばれるものです。

 大阪―東京間の移動に、ほぼ丸1日もかかった時代、人々は駅で土瓶入りのお茶を買って乗り込みました。東海道線沿いの発掘調査では、線路沿いに、列車から捨てられた汽車土瓶がたくさん出土しています。

 関西では、信楽焼が多くの汽車土瓶を作っていました。大乗院から出土する土瓶は、ほとんどが信楽焼で、少し古いタイプのものです。底部には煤(すす)がベッタリついていて、使い捨てではなく、何度も使われたことがわかります。しかも、コンロがたくさん出ています。学校給食はまだ始まっていないでしょうが、学校で子供たちにお茶をいれてあげたのではないでしょうか。今の給食当番のような、お茶当番があったのかもしれませんね。

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大乗院庭園の池から見つかった様々な土瓶

(奈良文化財研究所主任研究員 神野恵)

(読売新聞2016年9月18日掲載)

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