ひしめく窯 新技術開発
平城宮の北側にある奈良山丘陵。現在は住宅街となっていますが、奈良時代にはここに、平城宮・京の瓦を生産する瓦工場が集中していました。なかでも丘陵南西にある中山瓦窯(がよう)は、最大の瓦工場で、平城宮の大極殿や東区朝堂院などの重要な建物の瓦を生産していたことがわかっています。
1972年の発掘調査では、500平方メートルほどの調査区から、10基もの瓦窯が発見されました。窯は丘陵斜面を利用した登り窯が中心です。奈良時代には何十基もの瓦窯が付近一帯にひしめいていたのでしょう。ここで作った瓦は、秋篠川を利用して、舟で平城宮に運ばれたようです。
また、中山瓦窯では、瓦を効率的に生産するため、新技術の開発もおこなっていました。1回の工程で1枚の平瓦を作る方法や、軒丸瓦の文様部と丸瓦を一体的に作る方法は、中山瓦窯で発明され、全国に広がった技法と考えられています。
さらに瓦窯からは文様部だけの瓦や、「けらば瓦」と呼ばれる切り妻屋根の端に使う瓦も出土しました。これらは実用的ではないうえに、平城宮・京からの出土例もないので、見本や試作品とみられます。中山瓦窯は、瓦製作の技術改良や、製品開発をおこなうテクノセンターだったのかもしれませんね。
見本や試作品とみられる瓦。奥は「けらば瓦」、手前は文様部のみの軒丸・軒平瓦
(奈良文化財研究所研究員 石田由紀子)
(読売新聞2016年6月26日掲載)