出土遺物から推測
平城宮の中には、今の東京・霞が関の中央官庁街のように、国のさまざまな役所が置かれていました。たとえば、平城宮跡資料館がある場所には、馬を飼育する役所・馬寮(めりょう)がありました。また、遺構展示館の駐車場のあたりは、酒や酢を醸造する造酒司(ぞうしゅし)という役所でした。
このような役所名は、なぜわかるのでしょうか?
奈良時代にどんな役所があったかは、文献資料から知られます。でも、それぞれの役所が平城宮のどこにあったかは記録になく、主に発掘調査によって判明します。
手がかりの一つは、木簡や墨書土器などの出土遺物。書かれた文字の内容から、どの役所で使ったものかが推測できます。馬寮では「主馬」と書かれた土器が、造酒司では、酒や酢の原料となる米の荷札や、酒の容器に付けた木簡が見つかりました。
次に、建物などの遺構の特徴も重要です。馬寮では、馬小屋とみられる細長い建物が、造酒司では、醸造用とみられる甕(かめ)を据えた穴がヒントになりました。
このほか、平安時代に書かれた平安宮の役所の配置図との比較も、有効な方法です。
平城宮内には、何の役所があったか明らかでない場所が、まだまだ多くあります。今後の発掘調査の進展にご期待ください。
馬小屋とみられる細長い建物跡が見つかった馬寮跡
造酒司跡で出土した「酒米」と書かれた木簡
(奈良文化財研究所研究員 桑田訓也)
(読売新聞2016年6月12日掲載)