基壇 古代では最大級
奈文研では、2015年に、東大寺・奈良県立橿原考古学研究所とともに発掘調査団を組織して、東大寺の東塔跡の発掘調査をおこないました。
奈良時代の東大寺には、東塔と西塔という二つの巨大な七重塔が建っていました。1180年の平重衡の焼き討ちによって、これらの塔も焼けてしまいましたが、その後、少なくとも東塔は再建されたことが文献からわかっています。
発掘調査では、この鎌倉時代に再建された塔跡が、まず姿を現しました。塔の基壇(基礎の土壇)は正方形で、一辺が約27メートルもあり、高さは約1・8メートル前後と推定されます。基壇の上には、径4メートルほどの大きな穴が規則的に多数あいていました。これは塔の柱の下に置かれた礎石を抜き取った穴です。
奈良時代の塔の基壇は、鎌倉時代の基壇にすっぽりと覆われ、部分的にしか確認できませんでしたが、その規模は一辺約24メートルと推定されます。古代では最大級の基壇で、高層塔の偉容(いよう)がしのばれます。
また、基壇の側面を飾る凝灰岩や階段が当時の姿で残っていることも確認できました。
2016年度はこの奈良時代の塔を解明する発掘調査をおこなう予定です。お楽しみに。
2015年に発掘調査した東大寺東塔跡
(奈良文化財研究所遺構研究室長 箱崎和久)
(読売新聞2016年5月22日掲載)