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(140)平城京と難波京

複数の都 当時の流行

 奈良時代の首都はどこ―? 答えはもちろん、平城京。

 ですが、実は他に「副都」と言うべき都がありました。

 それは、今の大阪市におかれた難波(なにわ)京。大阪城のすぐ南隣に遺跡が残る難波宮を核として、その周りに平城京と似た碁盤の目状の街並みが整えられていました。京内には四天王寺などの大寺院も置かれ、都市と呼ぶにふさわしい景観を備えていたようです。744年には、わずか1年弱の間ですが、平城京に代わって首都(皇都)になりました。

 難波京のすぐ北側を流れる大川(旧淀川)には、難波津と呼ばれる港がありました。多くの船が行き交う難波津は、時に平城京から中国大陸や朝鮮半島へ向かう使節団の船出の地となりました。今も昔も水運に優れる点が、難波の大きな特長と言えるでしょう。

 なお、同時代の中国・唐には、長安と洛陽という、二つの壮大な都がありました。都を複数営み、それぞれの特徴を活かす「複都制」は、古代東アジア世界のトレンドだったのです。

 難波京とともに、恭仁(くに)京(京都府木津川市)や紫香楽(しがらき)宮(滋賀県甲賀市)も一時都とされましたが、人びとは都を平城京に戻すように望んだと記録されています。こうして745年、平城京は再び首都に返り咲きました。

 

(140)平城京と難波京(読売撮影写真).jpg

現在は公園として整備されている難波宮跡。北側(上)には大阪城が見える

(奈良文化財研究所研究員 山本祥隆)◇写真・読売新聞社ご提供

(読売新聞2016年5月15日掲載)