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(135)平城京のお墓(2)

官人と庶民

古墳再利用 川に遺棄も

 前回は平城京に暮らす人々のうち、天皇や貴族・官人が亡くなった後、平城京の周辺の丘陵や山中に葬られたことを紹介しました。

 官人の中には、遠い故郷に葬られた人もいたようです。因幡国(現在の鳥取県)出身の伊福吉部徳足比売(いふきべのとこたりひめ)は、和銅元年(708年)に藤原京で亡くなりましたが、火葬されて故郷の因幡に埋葬されたことが、出土した骨蔵器の銘文からわかりました。彼女のように故郷に戻って埋葬されることを帰葬といいます。

 平城京の時代には、古墳時代の墓地を再利用した例もあります。葛城市の三ツ塚古墳群では、古墳群の中から、奈良時代の火葬墓や、古墳の石室を再利用したお墓が見つかっています。これらのお墓からは、官人が身に着ける帯金具が出土しています。官人とその家族が先祖代々のお墓を守り続けていたのでしょう。

 では、庶民のお墓はどうだったのでしょうか。平城京南方の川跡の発掘調査では、ムシロにくるまれたままの人骨が見つかっています。もしかすると、庶民はお墓もなく、川に捨てられていたのでしょうか?

 たくさんの人々が暮らした平城京ですが、彼らの死後の住まいについては、まだ良くわからないことが多いのです。これからの発掘調査が解き明かしてくれることでしょう。

 

(135)平城京のお墓(2)_岡本友紀.jpg

(奈良文化財研究所研究員 小田裕樹)◇イラスト・岡本友紀

(読売新聞2016年3月13日掲載)

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