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文化的景観研究集会(第7回)の開催 その3:エクスカーション編

景観研究室では、11月28日〜29日にかけて文化的景観研究集会(第7回)「営みの基盤 生態学からの文化的景観再考」を開催しました。

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その1 ポスターセッション編

その2 シンポジウム編

その3 エクスカーション編(今回)

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エクスカーションは、今年10月7日に重要文化的景観に選定されたばかりの「京都岡崎の文化的景観」を、京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課協力のもと、1日かけて歩きました。また、途中の各ポイントではゲストスピーカーからのお話もあり、盛りだくさんのエクスカーションになりました。

 

蹴上駅からスタートし、まず、東山山麓の南禅寺界隈を歩きました。琵琶湖疏水が開削された明治23年以降、疏水の水が張り巡らされ、庭師・七代目小川治兵衛(植治)らの活躍により近代別邸群が築かれたエリアです。

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琵琶湖疏水の水は開渠で各庭園に流れている部分も多く、別邸の中には入れなくとも、キラキラとした水の姿やサラサラと流れる音を楽しむことができます。こうした流れの一部には、近世以前の自然河川や水路を利用したものもあります。近代の開発は、既存のものをうまく使いながらおこなわれたことが分かります。

山縣有朋の別邸であった無鄰菴では、株式会社植彌加藤造園の阪上富男氏からお話をお聞きしました。阪上さんは、文献や古写真から山縣有朋の感性を読み取り、それを庭園管理の具体的手法に活かしておられます。

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庭園の手入れは、生きているものをバランスよく整え続けるということです。文化的景観の保全も、生きている地域をバランスよく整え続けるということなので、その考え方から学ぶことは多いように感じています。

無鄰菴の洋館では「京都岡崎の文化的景観」パネル展も開催中で、参加者の方々にはその展示もご覧いただくことができました。

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次に、疏水を利用した水車工場が建ち並んでいた白川沿岸エリアに行きました。

琵琶湖疏水沿いでは、かつて、多くの水車工場が稼働し、精麦や伸銅をおこなっていました。現在はその記憶すらなくなりつつありますが、私たちの調査から、そうした水車工場が2棟だけ現存することが分かっています。今回はそのうちの一棟、旧竹中精麦所の水車工場に伺いました。

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旧竹中精麦所の敷地内には、巨大な水車が回っていた石積み水路が横断しています。水車工場だった建物は半分しか残っていませんが、所有者の竹中千鶴子さんが残すことを決意され、その意味を未来につないでいこうと改修が進められています。

 

その琵琶湖疏水が開削された岡崎の中心部は、明治28年に第四回内国勧業博覧会と平安遷都千百年祈念祭の舞台となりました。以降、祝祭・勧業・文教空間として様々な施設が整備され、「岡崎公園」という名前の都市の広場になっていきました。

ここではまず、京都府立図書館に立ち寄りました。明治42年、武田五一の設計により建設された公立図書館です。その後、平成7年の阪神淡路大震災により本館建物に深刻な被害を受け、平成13年には明治の壁面を保存しながら、現在の建物に建て替えて再開館しています。

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担当の福島幸宏氏から図書館の歴史を教えていただくとともに、館内に保存されている武田五一作の家具も拝見させていただきました。京都府立図書館は100年以上にわたり岡崎公園の文教機能の中心を担っていますが、その背景には、司書の方々の図書館史を大切にした運営の姿勢があります。

 

次に訪れた平安神宮では本多和夫権宮司から、平安神宮神苑の生態系について現地で解説していただきました。

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疏水を介して琵琶湖からやってきて神苑の園池に住みついている生き物の中には、すでに琵琶湖では絶滅した恐れがあるイチモンジタナゴのような魚類もいます。本多権宮司は、神苑をフィールドに、そうした生き物を日々観察しておられます。イシガメの産卵場、シジミの生息地、コイの捕食行動、カワセミの動き、などなど、本多さんとめぐる神苑は、植治の庭というよりも、小さな琵琶湖として見えてきます。まさに、ここは琵琶湖のレフュージア(退避地)といえる場所です。

 

こうして見てきた京都岡崎の地は、近代になり琵琶湖疏水や博覧会用地として開発されましたが、岡崎に最初に街区が造られたのは、平安時代後期のことです。平安京の都市区画を延長して白河街区が形成され、貴族たちの別邸が設けられるとともに、法勝寺に代表される六勝寺の巨大寺院群が造営されました。都の副都心としての機能が与えられたのです。

その機能は12世紀後半にはなくなりましたが、近世の岡崎にも、その街区の一部は通りとして継承されました。また、近代に大規模に開発されても、なお、法勝寺の金堂の基壇跡などは残り続けています。現在も金堂基壇が住宅や駐車場として残存している姿に、みなさん驚きの声を上げていました。

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そして今回の一番の発見は、旧水車工場の修理中に見つかった軒丸瓦です。当時の大工が柱を安定させるために利用していたようで、わたしたちが伺った際には主屋の軒先に置いてありました。その瓦を参加者の鈴木重治先生(考古学)が目にされ、「これは平安時代の瓦ですよ」とのこと。関係者一同、想像が膨らみ、大いに盛り上がりました。様々な学がいっしょに考える文化的景観だからこそ、こうした発見ができるのだと思います。

 

エクスカーションでは、文化的景観からみた岡崎エリアの現在の姿、その姿を支えている関わり合い、また、その姿を紡ぎ出してきた歴史の蓄積のあり方について、ひとつの物語として感じてもらえるように心がけながら解説しました。建物や庭園、そこでの営みは、単体として存在しているのではなく、関わりのなかで生まれ、生きています。来年度以降の研究集会も、シンポジウム、ポスターセッション、エクスカーションの3部構成で取り組んでいきたいと思います。

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