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瓢箪から「ひしゃく」

2015年12月 

 最近は、神社や仏閣の手水舎(ちょうずや)等でしか見ることがなくなってしまった「ひしゃく(柄杓)」ですが、柄杓の名前の由来は、瓢箪の別名、「ひさご」からきているそうです。ひさこ…ひさく…ひしゃく、確かに似ていますね。もともとは、「ひさご」を刳り抜いて二つに割ったもので液体をすくっていた事から、この名前になったといわれています。

 こうした由来を裏付けるように、平城宮跡でも井戸から瓢箪で作った柄杓が出土しています。球形の瓢箪の側面を切りとり、種などを取り除いて細長い棒をさして柄を付けたものです(写真上)。実は、面白いことに、同じ井戸からは木で作った柄杓も出土しています。木の薄板を丸めてサクラの樹皮で縫い合わせ、底板をはめたものに、柄をさした柄杓です(写真下)。この井戸は、宮中の食事などを用意する大膳職の井戸と推定されています。これらの柄杓は平城京から長岡京、平安京へと遷都した後の平安時代初頭の遺物で、瓢箪と木で作った柄杓、2種類の柄杓が同時期に使われていたようです。

 それでは、瓢箪の柄杓と木の柄杓はどのような使い分けがあったのでしょうか。調べてみますと、平安時代の辞書『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には、木の柄杓は「斟水器也(水を斟(く)む器(うつわ)なり)」とあり、水を汲むものであったことがわかります。一方で律令の施行細則を集めた『延喜式』には、「匏(ひさご) 一百九十柄 汲雑物汁料(雑物の汁を汲む料)」とあり、瓢箪の柄杓は汁をすくうためのものだったようです。要するに、木の柄杓は水用、瓢箪の柄杓は水以外の食品用として区別されていたようです。現在でも、柄杓は水を汲むもの、というイメージがあり、柄杓でお鍋から汁物をすくうところを想像すると違和感がありますよね。そうすると、瓢箪の柄杓は、現在の料理に使う「おたま(杓子)」のような存在だったのかもしれません。

 平城宮跡から出土した木簡にも瓢箪を意味する「瓢・匏」が書かれたものがありますし、『延喜式』に見られる「一百九十柄」のように、瓢箪の柄杓は数多く用いられていたようです。平城宮跡以外にも、長野県の屋代遺跡群や岩手県の柳之御所遺跡などからも瓢箪の柄杓は出土しています。

 残念ながら、現在の私たちの生活の中で瓢箪の柄杓を見かけることはなくなってしまいましたが、「ひしゃく」という言葉からは瓢箪だった頃を垣間見ることができます。

 

(左)瓢箪の柄杓.jpg

瓢箪の柄杓

 

(右)木の柄杓.jpg

木の柄杓

 

(都城発掘調査部アソシエイトフェロー 浦蓉子)