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石を割る

2015年11月 

 現代日本では、建物の基礎や河川の護岸など堅牢で大量に供給できる資材としてコンクリートを用います。型枠に流し込めば自由自在に形をデザインすることができ、今日の土木工事になくてはならない存在です。

 コンクリートが普及する以前は、石材を用いました。必要量の石を切り出し、一石ずつ手作業で必要とされる形に加工しました。歴史的に石材を大量に使用した構造物として城郭の石垣があります。日本の城郭石垣は、地震多発の厳しい環境であっても崩れにくく、世界に誇る石の大規模土木構造物です。一般的にお城といえば天守閣というイメージでしたが、近年の「天空の城」竹田城の人気にみられるように、天守閣がない石垣のお城も見直され人気になっています。

 では、現代的な重機がない時代、どうやって硬い石を必要な形に割ったのでしょうか。石を割る技法のひとつに「矢穴技法」というものがあります。

 (1)まずセットウ(金槌)とノミ(鑿)を使って、石に「矢穴」と呼ばれる穴を掘ります。矢穴をいくつか列状に掘ります(図1)。

 (2)そして矢と呼ばれる鉄製で楔状の道具を矢穴に差し込み、ゲンノウ(鉄製の槌)でたたくことで、徐々に矢が石に食い込んでいきます(図2)。

 (3)ある程度食い込むと石に亀裂が発生し、一気に割れます。テコで割れ目を押し広げます。

 ポイントは、矢の先端が石にあたらないようにすることです。矢の先端による打撃で石を割るのではなく、あくまで亀裂を押し広げて石を割るところがミソです。この技法によって少ない労力で大きな石を割ることが可能となりました。

 古代には矢で石を割る技術はなく、中世に中国大陸から伝わったといわれています。中世の石造物製作のための石割技術が、畿内の織豊系城郭の展開や慶長期の全国的な築城ラッシュによって、石割の技術が急速に発達しました。大きな石を思い通りに割ることが可能になったことで、石材の規格化が進行し、大坂城のような高い石垣を構築することが可能となったのです。

 ところが、古代にはないはずの矢穴痕が平城宮跡でも確認されています。朱雀門跡の発掘調査で発見された礎石に矢穴痕がありました(図3)。本来あったであろう礎石の設置場所近くに穴を掘り、そこに礎石を落とし込んでいました。矢穴痕を観察するに、おそらく後世に朱雀門の礎石を撤去したいため、小さく割ってから穴に落とし込んだと推察されます。田畑などの開発の邪魔になったのでしょうか。しかし石割自体は失敗したらしく、綺麗に割れていません。そこであきらめたらしく再挑戦はなくそのまま埋めてしまったようです。この石を観察していると当時、石を割ろうとした人たちの嘆きが聞こえてきそうです。この礎石は平城宮跡資料館に保管されています。

 

図1日本山海名産図会.jpg

 図1 日本山海名産図会(国立国会図書館デジタルコレクションより転載)
※(1) 画面中央下3名が矢穴を掘っている
※(2) 画面中央上の人物がゲンノウで矢を打っている
※(3) 画面右上の人物が割れた石をテコで押し広げている

 

図2近代の矢.jpg

図2 近代の矢

 

図3資料館石材.jpg

図3 平城宮跡朱雀門礎石

 

(企画調整部研究員 高田祐一)

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