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「ゆ」を掘る

2015年10月 

 温泉は命の洗濯。老若男女一度は、温泉につかり、リフレッシュした経験があるでしょう。環境省の調べでは、2014年3月末現在3,169もの温泉地が日本には存在し、世界有数の温泉大国です。

 では、いつ頃から日本人は温泉に入浴していたのでしょうか。『日本書紀』『続日本紀』『万葉集』などを見ると、7世紀には舒明天皇や斉明天皇が、兵庫県の有馬温泉や和歌山県の白浜温泉(紀伊湯崎温泉)、愛媛県の道後温泉へ行幸した記録が残っています。また『風土記』には各地の温泉に関する記載もあります。これらの記録された史実よりも古くから、その地域の人々は温泉を認識・利用し、経験的に効能を理解していたと考えられます。

 ところで、昔の人々はいったいどのような環境・施設で、温泉へ入浴していたのでしょうか。史料に残らないものでも、発掘調査によってその様子が明らかになることもあります。その事例として有馬温泉での発掘調査をご紹介します。ここで見つかったものは、豊臣秀吉が建てた湯屋「湯山御殿」の遺構です。

 1995年の阪神・淡路大震災では有馬温泉も大きな被害を受けました。被災した有馬温泉の極楽寺庫裏の解体と建替えにともなって、神戸市教育委員会は発掘調査をおこないました。湯山御殿とは秀吉が晩年に造営した温泉付きの別荘で、慶長元年(1597)の地震で倒壊し、慶長3年(1598)に「仮の御殿」が造営されたのですが、秀吉は一度も利用することなく亡くなってしまいます。江戸時代から書物に「大かうのゆ(太閤の湯)」と記されるように、有馬の極楽寺や隣の念仏寺の境内がその御殿跡であるとの伝承がありました。発掘調査の結果、「仮の御殿」の敷地内に造られた二つの蒸し風呂や岩風呂、泉源、湯溜、引湯樋などの遺構が見事に検出されたのです。

 蒸し風呂は現在でいうミストサウナで、蒸気を引き込む配管跡も確認されました。寺院にも蒸し風呂の湯屋はありますが、温泉を直接利用するため、湯を沸かす釜場がないことが温泉地ならではの特徴です。また岩風呂は湯につかるタイプのもので、現在と変わりはありません。岩風呂の一角は基盤層の凝灰岩の岩肌をそのまま利用し、樋で引かれた湯が岩肌の裂け目を通って、湯船に流れ込むような仕掛けが施されています。蒸し風呂周辺では遺構の撹乱が激しく、覆屋の痕跡の有無は不明ですが、屋外に設けられていた可能性があります。岩風呂は周囲に柱や礎石の痕跡はなく、露天風呂であったことが確認されています。また、弥生時代末以降の土器も出土しており、有馬温泉は文献の記述よりも、さらに古くから人々に利用されていたのかもしれません。

 他にも出雲の玉造温泉など、近年の発掘調査によって、中世末から近世にかけての入浴施設の構造が少しずつ明らかになってきています。今後も全国で調査例が増えることにより、古代・中世の温泉の入浴施設の様相もさらに明らかになっていくことでしょう。古代の温泉風景を想像しながら湯に浸かるのもまた一興かと思います。

 

有馬湯山岩風呂.jpg

写真1:湯山遺跡の岩風呂の遺構

 

有馬湯殿館.jpg

写真2:復元された蒸し風呂

写真提供:神戸市教育委員会
参考文献:神戸市教育委員会『ゆの山御てん 有馬温泉・湯山遺跡発掘調査の記録』2000年3月31日

 

 (都城発掘調査部アソシエイトフェロー 福嶋啓人)

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