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平城宮の祥瑞

2015年7月 

 天は為政者の政治が良ければその褒美に祥瑞をもたらして徳治の証とし、悪ければ災害や日食月食などの異変をもたらして苛政に警告をする。為政者は不祥事があれば自らの不徳を恥じるのであった。そんな天人相関思想を奈良時代には大陸から受容していました。祥瑞には、甘露、慶雲、鳳凰、三足烏、赤雀、霊亀、木連理など珍しい気象現象や動植物等があり、政治的ニーズの中でしばしば現れました。

 昨年の夏、平城京内に奈良時代の高僧行基が創建した菅原寺(現在の喜光寺)で双頭蓮が咲きました。双頭蓮は一茎二花、すなわち一本の茎から二つの花の咲く蓮のことで祥瑞の一つです。突然変異のため、実際まれに出現するものです。現在は政治とは直接関係なく、純粋におめでたいものとして受け止められています。ちょうど行基堂が完成した年だったため、そのことをお寺さんは大変喜ばれたようです。

 双頭蓮は、中国南朝宋の都建康の宮廷庭園である華林園でも元嘉二十年(443)、二十三年(446)などに記録があります。日本では、応神天皇の時に作られたという剣池に、舒明天皇の七年(635)七月、皇極天皇三年(644)六月に一茎二花の蓮の記事が『日本書紀』にあります。『続日本紀』では、光仁天皇の宝亀八年(777)六月十八日に楊梅宮南池に一茎二花の蓮が生じたことが記されています。この池は復元された奈良時代後半の、特別名勝平城宮跡東院庭園の池のことですが、現在、遺構保護の観点から残念ながら蓮は植えていません。双頭蓮を平城宮跡で見ることはできそうにありませんが、今年の夏もどこかで生じて欲しいものです。

 ところで、今からちょうど1300年前の夏にも祥瑞が現れました。『続日本紀』和銅八年(715)八月二十五日条によると、左京の人、大初位下の高田首久比麻呂(たかだのおびとくいまろ)が霊亀を元明天皇に献上しました。その亀は長さ七寸、幅六寸、左眼が白く右眼は赤、頸に三公という星座、背には北斗七星、前脚に易で用いる八卦の符号、後脚には符号の一部があり、腹には赤白の二点が連なって八の字になっていました。この亀に似たものが正倉院宝物の青斑石鼈合子(せいはんせきのべつごうす)で、緻密に象られた鼈(すっぽん)の背中には裏返しの北斗七星が刻まれています。『万葉集』「藤原宮の役民の作る歌」に歌われる「図(あや)負ゆる神(くす)しき亀」もこのようなものだったのでしょう。なお、易に用いる符号を持つ亀は中国では南朝宋の泰始二年(466)にも記録があります。

 霊亀とも神亀とも呼ぶこのような亀の出現を元明天皇は大変に喜んで、九月二日、元明天皇の娘で、天文を得意とした天武天皇の孫にあたる氷高皇女に譲位しました。皇女は大極殿で即位、元正天皇となり改元し、和銅八年を霊亀元年としました。大極殿の前庭でその亀は群臣に示されたのかもしれません。これに先立つ、この年の元日朝賀は平城京に遷都してはじめて行われた朝賀で、藤原宮から移築した大極殿のこけら落とし(大極殿は瓦葺きではありますが・・)でもありました。そんな年に現れた霊亀は大極殿の建設にも縁のある祥瑞なのです。

 文化庁では今年度から日本遺産の認定が始まりました。これは有形無形を問わず、個別に点在する文化財をわが国の文化や伝統を語るストーリーの中で面的に捉え、地域の魅力を発信しようとする施策です。文化財を一定の脈絡の中で捉え活用するようになった昨今、遺跡をはじめ、正史や『万葉集』、正倉院宝物、復元建物等を繋ぎうる、祥瑞であるこの亀に遺跡の活用への糸口が期待できるかもしれません。ただ、双頭蓮とは違って、こちらは待っていてもそうそう現れそうにない祥瑞です。
 

 そこで出現させたのが「霊亀くん」です。平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターとして「せんとくん」が発表された平成20年、奈良の民間のデザイナー団体が独自にキャラクターを募集、619点の応募作品から30点を選考し、インターネットと街頭での投票で「まんとくん」を選定しました。実はこのとき手描きの霊亀くんは30点に入ってはいましたが、投票で最下位となってしまい、私が自身の不徳を恥じたのでした。

 今回デジタル化した霊亀くん。平城宮跡や大極殿院のマスコットキャラクターにでもどうでしょうか・・・。

 

霊亀-修正版(270618白).jpg

 霊亀くん

 

 (文化遺産部遺跡整備研究室長 内田和伸)