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自然を使いこなした都市の営み

2015年7月 

 銀閣寺の銀沙灘、詩仙堂や南禅寺塔頭の枯山水庭園など、中世から近世にかけて京都でつくられた庭園には、「白川砂」と呼ばれる、白くきらめく砂が多用されてきました。一方、明治末頃から昭和初期にかけて、琵琶湖疏水からの水を利用して南禅寺界隈につくられた無鄰庵、碧雲荘、對龍山荘といった別邸群の庭園には、必ずといっていいほど「アカマツ」が庭木として植えられています。近世までの庭園を特徴づける白川砂と近代の庭園を特徴づけるアカマツ。別々の文脈で語られがちなこの2つの要素は、東山の地質的視点に立つと有機的な関係で結ばれていることに気づきます。

 つまり、東山のうち、比叡山から大文字山にかけての比叡平と呼ばれる一帯は花崗岩帯で、石英や長石といった白っぽい鉱石を多く含んでいます。この花崗岩は温度変化の影響を受けやすく、鉱物同士がばらばらの状態になり非常にもろく崩れやすい性質を持っています。さらに石英以外の鉱物は水や酸素の影響で風化が進み、ガラス質の石英が多く残ります。この石英を多く含む土砂が白川や修学院音羽川に流れ、その流れで洗われた砂を「白川砂」と呼び、枯山水などの庭園で多用されてきたのです。

 石英が多い比叡平の表層土壌は有機物や微生物に乏しく、結果的に、貧栄養の土壌でも生育できるアカマツ林が優占してきました。このアカマツ林は、都を支えるヒンターランド(後背地)の一部として、平安時代から長期にわたり使われ、維持されてきたものでもあります。近代に入り欧米から導入された新たな自然観のもとで南禅寺界隈に生まれた自然主義的な庭園は、借景としての東山との連続性・関係性が重視された結果、その内部に、当時の東山で最も優勢に生育していたアカマツを多く植えられることになりました。

 しかし、南禅寺界隈でのアカマツ文化は、別邸群に留まっていなかったのです。

 「京都岡崎の文化的景観」の調査研究の一環で南禅寺界隈を歩いていると、小・中規模の郊外住宅の庭にも多くのアカマツが植栽されていることに気付きました。そこで、平成23~24年にかけてアカマツの悉皆調査を実施した結果、

外観から目視で確認できるものとして、調査範囲内に439本ものアカマツを確認できたのです。さらに、アカマツ植栽は東山に近い地域ほど多く、平安神宮を有する岡崎公園より西側になるとまったく見られなくなることがわかりました。南禅寺界隈の別邸群に導入されたアカマツは、一帯にその種を飛ばし、ひとつのブランドとして地域にしっかりと根付いているのです。

 借景とされた東山では、人の手が入らなくなったことやマツ枯れ病などの影響で、アカマツ林は減少の一途をたどっています。その一方で、南禅寺界隈では所有者と庭師の手で赤丹色の幹肌を持つアカマツが大切に育てられています。南禅寺界隈は、東山アカマツ林のレフュージア(待避地)でもあり、平安時代から京都人が見守ってきたアカマツ文化そのものの到達点ともいえるでしょう。

 

庭師により育まれる南禅寺界隈のアカマツ.jpg

 庭師により育まれる南禅寺界隈のアカマツ

 

 (文化遺産部研究員 恵谷浩子)

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