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木々をたずねて三千里

2015年6月 

 奈良と言えば東大寺の大仏。その大仏を収める大仏殿の大きさは、桁行(横幅)50.0m、梁行(奥行)50.5m、高さ46.4mで、世界最大の木造の建物です。東大寺大仏殿は奈良時代中期、天平宝字2年(758)に創建されましたが、この創建大仏殿は治承4年(1180)の平重衡の南都焼打ちによって焼失し、鎌倉時代に再建されました。この鎌倉再建の大仏殿も永禄10年(1567)の松永久秀らの焼打ちによって、失われ、今の大仏殿は元禄4年(1691)に建てられた三代目の大仏殿です。驚くなかれ、創建・鎌倉時代の大仏殿の規模は、今よりもさらに大きく、桁行290尺(約86.1m)、梁行170尺(約50.5m)と推定されています。

 これら三代の大仏殿は、数多の巨大な木材に支えられてきました。例えば、創建大仏殿の柱は太さ3.8尺(約112㎝)で、長さ7丈(約20.7m)、6丈6尺(約19.5m)、3丈(約8.9m)の柱をそれぞれ28本ずつ、使用したと記録されています。鎌倉時代の大仏殿の柱は、さらに太く、径5.2尺(約153㎝)と記録にあり、縮小した現在の大仏殿でも、その大きさはほぼ同じです。現代の一般的な木造住宅の柱の太さが10㎝程度ですから、その大きさは比べるまでもないでしょう。こうした豊富な木材は豊富な森林資源に育まれた日本建築の文化をよく表しています。

 では、これらの木材はどこからもってきたのでしょうか?

 奈良時代には、甲賀(滋賀県)や伊賀(三重県)など、奈良の近郊に杣(採材地)がありました。これが鎌倉時代には、周防国(山口県)にまで材木を探し求めています。そして江戸時代には大きな材の調達が困難となり、柱を一本で作るのではなく、短い柱を3・4本繋ぎあわせ、さらに外側に扇型の板を張り付けて、いわば集成材とすることで何とか用意することができました。しかし、柱と柱の間に架け渡す、虹梁という太く長い梁は一本物で作らねばならないのですが、これが見つからず、全国に御触れを出して、ついに日向国(宮崎県)で見つけました。このように時代が下るにつれて、徐々に、徐々に伐採地が大仏殿から遠くなっていったのです。

 大仏殿以外にも文化財建造物には、太く、長い材が多く使われていますが、これらの修理に必要な大きな国産材の確保が大きな課題となっています。また再建中の興福寺中金堂では、カメルーンやカナダから材料を運んできたと聞きます。海を飛び越えたその運搬距離(日本とカメルーン)は約3000里(12000㎞)にも及びます。

 物質的に恵まれた現代ですが、我が国の木の建築文化を支えてきた森林資源は、奈良時代より豊かとは言えないでしょう。次世代に文化財建造物を引き継ぐためには、物としての木造建造物だけでなく、その母たる森林を育み、木と上手に付き合っていく新しい時代に入っているのかもしれません。

 

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 図1現在の東大寺大仏殿

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 図2「集成材」で作られた大仏殿の柱

写真提供:東大寺

 (都城発掘調査部研究員 海野聡)