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(91)恭仁京遷都と平城還都

有力氏族 天皇動かした?

 今日の私たちにとって、首都の移転は縁のないことのように思えます。ところが、奈良時代には5年間に4回も都が移った時期がありました。

 740年、聖武天皇は平城宮を離れ、恭仁宮(京都府木津川市)に遷都しました。しかし、恭仁京の完成を待たず744年には難波宮(大阪市)、翌745年には紫香楽宮(滋賀県甲賀市)に都を移しました。有名な大仏建立の詔は紫香楽宮で出され、建立が始まります。ところが同年には都を再び平城宮に戻します。これを「平城還都」とよんでいます。

 なぜこのように頻繁な遷都が繰り返されたのでしょう? 理由はよくわかっていません。

 740年に九州で起こった戦乱(藤原広嗣の乱)がきっかけとなったとする説が有力です。また、当時、聖武天皇の周辺には伯母の元正太上天皇と橘氏のグループ、妻の光明皇后を中心とする藤原氏の二つの有力勢力が存在していました。恭仁宮のある山城国は橘氏の拠点であり、紫香楽宮のある近江国は藤原氏の地盤です。このように、天皇を取り巻く有力氏族の力関係が遷都に強く影響したとする説もあります。

 相次ぐ遷都は、膨大な労力と資材を必要とし、人々の暮らしにも負担と混乱をもたらしたにちがいありません。

 

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(奈良文化財研究所飛鳥資料館研究員 丹羽崇史) ◇イラスト・岡本友紀

(読売新聞2015年2月15日掲載)