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「箸を使う」

2015年4月

 最近、我が家では子どもが箸の使い方を練習しています。まだ慣れないため、上手に食べ物を掴むことができず、イライラしておかずを突き刺したり、あきらめて手づかみで食べたりしています。

 現代の日本では、箸を使ってご飯やおかずを口に運ぶ食べ方が普通ですが、この習慣はいつからなのでしょうか?

 奈文研の先輩である佐原真さんは古代都城から出土する箸に注目しました。そして、飛鳥・藤原地域からは箸がほとんど出土しないこと、平城宮から木製箸が大量に出土することなどから、箸を使う食事の普及は奈良時代に始まると考えました。

 佐原さんの説に対して、私は飛鳥時代の食器(特に土器)の変化から、飛鳥時代後半には箸を使う食事が始まっていたのではないか、と考えています。飛鳥時代前半までの食器構成をみると小型で底の丸い土器が主体です。ところが、飛鳥時代後半に入ると、高台とよばれる台が付く土器や、底が平らな土器が主体になるという食器構成の大きな変化がみられます。

 小型の丸底食器は安定が悪い反面手に持ちやすく、台付・平底の食器は置いたときに安定するため、箸・匙を使って口に運ぶ食事に適した形です。台付・平底食器主体の食器構成への変化は、韓半島の百済や新羅における食器構成の変化とも連動しており、隋・唐を中心とする大陸的な食事様式を受容した結果とみることができます。私は、飛鳥時代後半の日本では、大陸から新しい食器のセットと一緒に、箸を使う食事作法も受容していたのでは、と考えています。

 もう一度佐原さんが根拠とした平城宮から出土する箸をよく見てみると、木製箸のほとんどがヒノキ製の箸であることに気づきます。これは、常に造営工事が続いていた平城宮の中で、主要な造営資材であるヒノキの切れ端を箸として利用した結果とも考えられます。

 また『正倉院文書』では、「箸竹」という言葉が出てきて、写経生たちは竹製の箸を使っていたことが分かります。しかし、平城宮・京の発掘調査では、竹製の箸はほとんど見つかっていません。木製・竹製の箸は土の中で腐りやすく、出土した箸が当時使われていた箸の全体像を反映しているのかどうか、その実態をつかむことはなかなか難しそうです。

 そこで私は、食器の表面に残る箸の痕跡に注目しています。発掘現場から出土した土器を観察していると、表面に様々な使用痕跡が残っていることに気づきます。例えば、刀子(ナイフ)で何度も切り刻んだような線状の痕跡もあれば、浅く小さな刺突痕跡が残っていることもあります。この直径2~5㎜ほどの浅い刺突痕跡が、食器表面に箸の先端が当たってできた痕跡ではないか、と考えて現在観察を進めています。

 私たちが普段食事をするとき、お皿が傷つくくらい乱暴に箸を扱うことはありません。でも、箸の使い方に苦労して、おかずを突き刺す子どもの姿をみていると、古代の人々も箸を使い始めたときには同じようなことをしていたのでは、と想像してしまいます。

 

平城宮出土の木製箸_カラー.jpg

平城宮出土の木製箸

 

 

飛鳥時代後半の食器構成.jpg

飛鳥時代後半の食器構成

 (都城発掘調査部研究員 小田裕樹)

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