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木簡の文字の向こう側―「采女」の合字―

2014年12月

 私が所属する史料研究室の主な仕事に、木簡の解読があります。今とほとんど同じ漢字を使っているとはいえ、およそ1300年前の人びとが書いた文字を読み解くのは、なかなか一筋縄ではいきません。私が出会った中で印象に残っている木簡を1点、ご紹介したいと思います。

 その木簡は、平城宮第一次大極殿院西辺から出土した、但馬国二方郡(ふたかたぐん:現在の兵庫県美方郡新温泉町付近)の荷札です【写真】。物品名は見えませんが、米の荷札と考えられています。

 荷札の裏面には、納めた人の名前が書かれています。はじめは、「委直馬弖」(やまとのあたいうまて)と読んでいました。1文字目を、「倭」の人偏を省略した字形と読んだのです。確かに、全体的な雰囲気は「委」に似ています。しかし、どうもおかしい……。

 「委」であれば、二画目が横に長く通るはずです。ところが横画はさほど明瞭ではなく、しかも左右にちょんちょんと点のような筆画が見えます。点々に木に女。もしかして「采女」ではないか?実は1文字ではなく、2文字なのではないか?

 確かに「采」であれば、筆画は矛盾なく理解できます。さらに他の史料を調べてみると、奈良時代の但馬国二方郡に「采女直」氏が住んでいたことが確認できました。こうして裏面の人名は、「采女直馬弖」(うねめのあたいうまて)と訂正されたのです。

 丁寧に筆画を追う姿勢から、1文字を2文字とみる発想の転換が生まれ、正しい読みへと辿り着くことができた、まさに教科書的な事例として、強く私の印象に残りました。

 

 ただ、疑問も1つ残りました。なぜ「采女」の2文字は、小さく縮めて書かれたのでしょうか?それも、私たちが1文字と読み間違えてしまうほどに。

 通常、文字が小さい理由として考えられるのは、画数が少ないため自然に小さくなる場合や、余白が少なく縮めて書かざるをえない場合などです。しかし、「女」はともかく「采」は画数が少ないとは言い難いですし、「采女」の位置は裏面の冒頭で、下に余白は十分あります。

 そこで「采女直馬弖」を注意して見ると、「女」「直」「馬」「弖」の間には、それぞれ適度な間隔がありますが、「采」と「女」はくっついています。やはり「采女」は、1文字として書かれたのではないでしょうか?すなわち、「采女」の合字(ごうじ)です。

 合字とは、複数の文字を組み合わせて1文字としたもの。「麻呂」を上下に組み合わせた「麿」などは、今でも使われています。実は、「采女」にも合字があるのです。ただし知られているのは、2文字を左右に組み合わせた「婇」のみ。上下に組み合わせた例は、これまでには知られていません。

 しかし例えば、「鍬」を「鍫」と書くこともあります。「采女」についても、上下に組み合わせる字形があって不思議ではありません。また、「女」が下に来る文字は「要」「委」など多く、ひとつの文字としても自然です。

 おそらく、この木簡を書いた人は、「采女は合字で書く」という知識を持っていたのでしょう。そこで、「采」「女」を上下に組み合わせて書きました。それがその人独自の発想なのか、実は当時広く使われていたのかは、今はわかりません。類例の増加に期待したいところです。

 いずれにせよ、もし「委」と読み間違えることなく、最初から「采女」と読めていたら、このような可能性を思いめぐらすことはなかったでしょう。

 木簡の向こう側には、文字を書き記した1300年前の人びとがいます。彼らに迫る手がかりは、意外なところにも隠れているのです。

平城宮跡から出土した但馬国の荷札.jpg

平城宮跡から出土した但馬国の荷札

 

裏面上部の拡大.jpg

裏面上部の拡大

 

 

      (都城発掘調査部研究員 桑田訓也)

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