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(69)平城京と唐長安城

2分の1規模 絶妙バランス

 東アジアに君臨した大帝国、唐の先進文化は、周辺諸国に大きな影響を与えました。8世紀に入ると、日本も長らく中断していた遣唐使を再開し、唐の文化の積極的な吸収に努めました。

 そのよい例が都づくりで、平城京は唐の都、長安城がモデルといわれています。両者の構造はとても良く似ていて、碁盤目状の直線道路で整備された都の北側中央に宮殿があり、その前面に長大なメインストリートが通っています。宮殿の北に庭園が広がり、京の東西に官営の市場、東南隅に苑池(えんち)があることも偶然の一致ではありません。

 一方、平城京には長安城のような都を囲む城壁はつくられませんでした。外国からの侵略の恐れが少ない島国では、防御施設までは模倣しなかったのでしょう。

 何より違うのが都の大きさです。平城京は南北4・8キロ、東西4・3キロ(外京を除く)の大きさでしたが、これは南北8・6キロ、東西9・7キロの規模を誇る長安城のちょうど2分の1、面積にして4分の1の大きさであったことが明らかになっています。

 唐を刺激するほど大きくはなく、一方で自らの国力を他国に誇示できる大きさであること、この絶妙のバランスこそが、長安城の2分の1スケールで設計された古代日本の都、平城京の本質だったようです。

 

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復元された唐・長安城大明宮(皇帝の宮殿)の巨大な正門(中国・西安市で)

(奈良文化財研究所研究員 森先一貴)

(読売新聞2014年8月31日掲載)