奈良文化財研究所に関するさまざまな情報を発信します。

(67)平城薬師寺と本薬師寺

結論 新たな謎呼ぶ

 皆さんは奈良に薬師寺が二つあったことをご存じですか? 観光客で賑(にぎ)わう西ノ京の薬師寺は、710年の平城京遷都後に建立されたものです。実は、これに先立つ藤原京の時代にも、同じ名前のお寺が橿原市に建てられていました。この二つの薬師寺を、平城薬師寺と本薬師寺と呼んで区別しています。現在、本薬師寺の建物は残っていません。

 史料には718年に薬師寺を「平城京に移す」とあります。この記述をめぐって、平城薬師寺は藤原京の薬師寺を移築したものとする説と、平城京で新たに建てられ、両薬師寺は一時期並存(へいぞん)したとする説が対立し、有名な「薬師寺論争」が巻き起こりました。

 明治時代から続くこの論争に解決の糸口が見いだされたのは、比較的最近のことです。1990年から奈文研が本薬師寺の発掘調査を実施したところ、瓜二(うりふた)つと考えられてきた両薬師寺の建物構造や瓦に、微妙な違いがあることが判明したのです。特に中門や回廊の構造には決定的な違いがあり、瓦も平城薬師寺の方が新しいことが分かりました。

 このことから、論争は基本的には平城薬師寺を新築とみる説に落ち着きつつあります。しかし、最近の瓦の研究では、本薬師寺西塔の完成だけが奈良時代まで遅れる可能性が新たに浮上してきました。解けたはずの謎が新たな謎を呼んでしまったようです・・・。

 

(67)平城薬師寺と本薬師寺.jpg

橿原市の本薬師寺跡。金堂・塔の基壇跡が残る

(奈良文化財研究所研究員 森先一貴)

(読売新聞2014年8月17日掲載)