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平城宮跡を横切る近代遺産

2014年11月

 平城宮跡ならではの風景とは?と聞かれるとさまざまな風景が頭に浮かぶかと思います。そのひとつに平城宮跡を横切る近鉄奈良線の風景をあげる方も多くいるのではないでしょうか。私も初めて奈良を訪れた時、大和西大寺駅を出発して突然外の様子が変わり、車窓越しに平城宮跡がのびやかに広がる風景に驚きを感じたり、平城宮跡の広大な敷地を颯爽と走る鉄道の姿に目を奪われたりした記憶があります。  

 この近鉄奈良線ですが、その完成は今から100年前のことでした。近鉄の前身である大阪電気軌道株式会社が、1914年4月に大阪上本町−奈良間30.6kmにおよぶ路線を開通させました。線路工事に伴う最大の問題は、大阪、奈良の間に聳える生駒山をどのように越えるかでした。いくつかの案を検討した末、最短で大阪と奈良を結ぶことができるトンネル方式が採用されました。工事途中、岩盤崩落などの大事故にみまわれ、完成を危ぶむ声もあがる中、この難工事を完工させました。

 さて、鉄道が特別史跡である平城宮跡を横切ることに関しては、やはりさまざまな意見があります。奈良時代の景観にそぐわないものであるから移転すべきだという意見や、車窓からみる平城宮跡が好きという意見等々。しかし大事なことは、この線路がすでに100年の歴史をもっているということだと思います。良い悪いにかかわらず、この鉄道によって、この100年間の平城宮跡に固有な風景がつくりあげられてきたともいえるでしょう。  

 そんな歴史性を垣間見ることができるモノが2つあります。1つ目は、平城宮跡内の路線の形状です。地図を注意深く眺めると、平城宮跡を斜めに横断する路線が、朝集殿院の手前辺りで不自然にカーブしていることに気づきます。これは当時保存の対象として考えられていた範囲を避けるために設定されたカーブでした。つまりこの不自然なカーブは、当時の人々の平城宮に対する認識を記録しているともいえます。明治後期から本格的に始まった平城宮跡の保存・整備運動の歴史を感じることができるカーブなのです。

 2つ目は、線路を支える構築物です。用水路の上を通る線路下部の控壁をよく見ると、それがレンガ積みでできていることに気づきます。コンクリート壁や土留ブロックが主流となった現在において、このレンガでできた控壁は開通当時の大正時代の雰囲気を今に伝えます。

 平城宮跡は奈良時代の史跡であることにその価値をもっています。しかし、この場所は奈良時代だけの歴史があるのではなく、その後1300年におよぶ歴史の層をもっているのです。そうした、平城宮跡にある歴史の重層性を、例えば鉄道を眺めながら、感じて頂ければと思います。

 

平城宮近鉄橋.jpg

近鉄奈良線の擁壁

      (都城発掘調査部研究員 前川 歩)

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