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(57)古代の「うた」(上)

漢詩 国越え通じる思い

 古代の「うた」には、漢詩と和歌の2種類がありました。このうち今回は皆さんにあまりなじみのない漢詩について考えてみましょう。

 わが国では、7世紀後半から漢詩が作られるようになったと言われています。明日香村の飛鳥池工房遺跡からは、漢詩が書かれた7世紀後半の木簡が出土しています。1句が5文字で4句からなる詩ですが、意味はあまりはっきりとしません。奈良時代になると、貴族や役人の間で漢詩作りが流行し、当時作られた『懐風藻(かいふうそう)』という漢詩集が今も残っています。

 漢詩を詠む人や場面は、和歌に比べるとかなり限られていましたが、漢詩自体は、東アジアに広く通用する国際的な「うた」でした。

 たとえば、漢詩が詠まれる場面の一つに、外国の使節を招いた宴会があります。『懐風藻』には、長屋王邸で新羅の使節の送別会が開かれたときに、日本の役人たちが彼らに贈った漢詩が数多く収められています。

 それらは別れを惜しみ、帰国の航海の無事を祈る気持ちを「うた」にしたものです。漢字で書かれた漢詩は、それだけで意味が通じるので通訳する必要がありません。自分の思いを漢字で直接伝えることができる点に、漢詩のすばらしさがありました。

 漢詩に親しむことは、国際人としての大切な教養の一つだったのです。

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飛鳥池工房遺跡で出土した漢詩木簡

(奈良文化財研究所研究員 桑田訓也)

(読売新聞2014年6月1日掲載)